元広島カープの達川光男さん。解説者としてもお馴染みですが、実はご実家がタクシー会社を経営されていることをご存知でしたか?
広島で長く愛される「中國タクシー」は、達川さんのお父様が創業し、現在は実のお兄様が社長を務めています。
この記事では、達川家と中國タクシーの深い繋がり、そして達川さん自身の少年時代のエピソードにも触れながら、その歴史と背景を詳しくご紹介します。広島の野球ファンならずとも興味深い、達川家のもう一つの顔に迫ります。
項目 | 内容 |
---|---|
氏名 | 達川 光男(たつかわ みつお) |
生年月日 | 1955年7月13日(69歳/2025年4月時点) |
出身地 | 広島県広島市東区 |
身長/体重 | 177cm/74kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
出身校 | 広島商業高等学校-東洋大学 |
プロ入り | 1977年ドラフト4位(広島東洋カープ) |
初出場 | 1978年7月11日 |
最終出場 | 1992年10月4日 |
在籍球団 | 広島東洋カープ(1978年~1992年) |
通算成績 | 1334試合/打率.246/51本塁打/358打点 |
主なタイトル | ベストナイン3回(1984年、1986年、1988年)、ゴールデングラブ3回(同年) |
監督・コーチ歴 | 広島東洋カープ(監督:1999~2000年)、福岡ダイエーホークス(コーチ:1995年)、阪神タイガース(コーチ:2003年)、中日ドラゴンズ(コーチ:2014~2015年)、福岡ソフトバンクホークス(ヘッドコーチ:2017~2018年) |
引退後の活動 | 野球解説者、評論家、講演活動、YouTuber |
備考 | 甲子園春準優勝・夏優勝(広島商)、東都大学リーグ初優勝(東洋大)、現役時代は「グラウンドの詐欺師」とも称されたユニークなキャラクター |
達川光男さんの家族構成:妻・仁美さんと娘さんについて

元プロ野球選手であり、監督・解説者としても活躍する達川光男さん。そのユーモラスなキャラクターは広く知られていますが、ご家族についてはどのような情報があるのでしょうか。ここでは、亡くなられた奥様やお子さんについて、公表されている情報を中心にまとめます。
亡き妻・仁美さんとの歩みと別れ
達川さんの妻は仁美(ひとみ)さんです。仁美さんは1961年生まれで広島県のご出身、達川さんより6歳年下でした。二人の出会いは1984年のパーティーで、同年の日本シリーズ直前に旧広島市民球場で再会したことが交際のきっかけになったと言われています。
そして、1986年のオフシーズンに結婚されました。
仁美さんは野球が大好きで、達川さんを常に支えていたようです。しかし、2014年12月29日、大腸がんのため埼玉県川越市内の病院で53歳という若さで亡くなられました。
当時、中日ドラゴンズのコーチを務めていた達川さんは、「まだ気持ちの整理がつきません。彼女は野球が大好きで、最後も『野球を頑張って』と言われました」と深い悲しみを語っています。葬儀・告別式は広島市内で近親者のみで執り行われ、達川さんが喪主を務めました。
仁美さんの逝去後、達川さんが再婚されたという情報はなく、現在も独身であると考えられます。
娘さんたちの存在とエピソード
達川さんにはお子さんがおり、娘さんが2人いることが確認されています。一部の情報では、お名前は長女が未来(みらい)さん、次女が貴絵(きえ)さんであるとされていますが、いずれも一般の方であるため、生年月日や職業といった詳しいプロフィールは公開されていません 。
娘さんたちに関するエピソードもいくつか伝えられています。達川さんの著書『広島力』の中では、娘さんが達川さんの現役時代の「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」でのコミカルな姿を見て、「お父さんそんな酷いことしとったんか」と驚いたという話が紹介されています。
また、2022年に達川さんの解説がネットで炎上した際には、娘さんから「大丈夫?」と心配する連絡があったと本人が語っており、現在も良好な親子関係が続いていることがうかがえます。
その他の家族:弟・達川奎三さん
達川さんには弟さんがいます。名前は達川奎三(たつかわ けいそう)さんで、元広島大学教授、後に広島文化学園大学教授を務めた学術関係者です。
奎三さんは高校教師時代に野球部に関わっており、兄である光男さんからアドバイスを受けていたというエピソードも紹介されています。
達川光男さんの自宅住まい:広島市井口台と福岡の出身地

広島を愛し、広島に愛される達川さんですが、現在どこにお住まいなのでしょうか。自宅に関する情報や、仕事のための拠点について見ていきましょう。
自宅は広島市西区井口台?有力な情報とその背景
達川さんの自宅は、現役時代から一貫して広島市内にあるとされています。特に有力な情報として、広島市西区にある高級住宅地「井口台(いぐちだい)」に住んでいる(または住んでいた)可能性が指摘されています。
その根拠として、2013年頃の個人のブログ記事に「元カープ監督の達川さんちの前あたりからの景色です」という記述と共に、井口台からの眺望写真が掲載されていることが挙げられます。記事では、世界遺産の宮島も見える素晴らしい景色であると紹介されており、地元ではある程度知られた情報なのかもしれません。
井口台は「広島のビバリーヒルズ」とも呼ばれる高台の住宅地で、カープの選手やOBが住むエリアとしても知られています。
ただし、これはあくまで個人のブログによる情報であり、達川さん自身が公に住所を明かしているわけではありません。プライバシー保護の観点から、具体的な番地などは公表されていません。
仕事のための福岡の住まい
達川さんは、福岡ソフトバンクホークスのヘッドコーチを務めていた時期(2017年~2018年)には、家族と離れて福岡市内のマンションに単身赴任していました。コーチ退任後も、福岡でのテレビ・ラジオ解説や講演などの仕事が多いため、現在も福岡市内に部屋(賃貸マンション)を借りていると、近年のインタビューで本人が明かしています(出典: メディアサロン)。
一部では「福岡に完全移住したのでは?」という見方もあったようですが、生活の主な拠点は引き続き広島市内にあると考えられます。仕事に応じて広島と福岡を行き来する生活を送っているようです。
公式な出身地:広島市東区
達川さんの公式な出身地は、広島県広島市東区です(1955年7月13日生まれ)。各種プロフィール情報でも一貫して「広島県広島市」または「広島県広島市東区」出身と記載されています。
広島商業高校(広島市中区)に通い、プロ入り後も広島東洋カープ一筋でプレーした、まさに広島の野球界を象徴する人物の一人です。
達川光男さんの実家はタクシー会社?「中國タクシー」との繋がり
達川さんの実家がタクシー会社を経営しているという話は、ファンの間では比較的知られています。その詳細について見ていきましょう。
「中國タクシー」の概要と経営陣
達川さんの実家が経営している(いた)のは、「中國タクシー株式会社」というタクシー会社です。この会社は、1953年に達川さんの父親である達川泰男(たつかわ やすお)氏によって、広島市中区河原町で創業されました(創業時の車両は11台)。その後、1962年に本社を現在の広島市東区牛田新町に移転し、現在に至ります。
経営は代々達川家によって引き継がれており、1990年には達川秀男氏が代表取締役社長に就任。そして、2017年からは達川信二(たつかわ しんじ)氏が三代目社長として会社を率いています。
達川信二氏は、達川光男さんの実のお兄さんにあたります。
達川光男さんとの関係性:創業家の一員として
達川光男さんは、この中國タクシー創業家の一員です。少年時代には、父親である創業者・泰男さんから「運賃の計算ができるように」と、そろばんを習うことを勧められたというエピソードを、自身の連載コラムなどで明かしています。
野球選手として大成した達川さんですが、実家の家業との繋がりを示す微笑ましいエピソードと言えるでしょう。
中國タクシーは、広島のタクシー業界の中でも高い稼働率(90%超)と低い離職率(6%)を誇り、「働きやすいタクシー会社」として地元の経済番組で特集されたこともある優良企業です。
まとめ:達川光男の娘と妻仁美?子供?自宅?タクシー実家?井口台?出身地
今回は、達川光男さんの実家である「中國タクシー」について深掘りしました。
1953年にお父様の泰男氏が創業し、現在は兄の信二氏が三代目社長として経営を引き継いでいます。
達川さん自身も少年時代、父からそろばんを勧められたエピソードがあるなど、創業家の一員としての繋がりがうかがえます。広島で高い稼働率と低い離職率を誇る優良企業でもある中國タクシー。
達川さんの野球人生を支えた家族の背景には、こうした堅実な家業があったのかもしれませんね。
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