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【アレックスラミレス巨人時代】なぜヤクルト?若い頃?守備の位置!名球会

ラミレスはヤクルトで人気者でした。まさか、他球団に移籍するとは考えられませんでした。

ヤクルトからラミレス側への残留要請が行われたが、なんと提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数でした

巨人時代は主力として2008年に打点王、2009年に首位打者を獲得するとともに2年連続でMVPを受賞し、2度のリーグ優勝、日本一(2009)に大きく貢献した。

DeNA時代は2013年に日本通算2000安打を達成し、外国人選手では史上初の名球会への入会を果たした。8年連続100打点超えの記録を持つ。

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今回の記事は【アレックスラミレス巨人時代】なぜヤクルト?若い頃?守備の位置!名球会についてお伝えします。

出身地首都地区ミランダ州カラカス
生年月日1974年10月3日(43歳)
身長
体重
180 cm
100 kg
投球・打席右投右打
ポジション左翼手
プロ入り1991年 アマチュア・フリーエージェントとしてクリーブランド・インディアンスと契約
初出場MLB / 1998年9月19日
NPB / 2001年3月30日
最終出場MLB / 2000年9月27日
NPB / 2013年10月8日
目次

【アレックスラミレス巨人時代】なぜヤクルト?若い頃?

何故ヤクルトから巨人へ移籍したの?

ラミレスはヤクルトで人気者でした。まさか、他球団に行くとは考えられませんでした。

ヤクルトからラミレス側への残留要請が行われたが、なんと提示された条件は契約年数1年、推定年俸4億円。7年在籍した球団に対する彼の希望は、高年俸ではなく契約年数でした。

ただ、ラミレスは07年は200本安打達成とはいえ05年、06年とラミレスにしては不振だったこと、07年に獲得したガイエルが1年目から35ホーマーの活躍を見せたためにヤクルトは複数年を契約しなかったようです。また、その他にもラミレスは外野守備が悪く、当時神宮球場を拡張する予定があったため外野陣の更なる守備能力の低下を懸念して評価が低くなったという事情もあるそうですね。

巨人では、推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は、「5」となった

ラミレスの移籍には原辰徳の指揮に興味もあった

ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたといいます。

「監督として特に尊敬しているのは若松(勉)さんと原(辰徳)さん。監督になって新しい世代の選手たちが能力を発揮する手助けをし、日本一になりたい」

なんと、ラミレスが「尊敬している」と公言している監督は、自らのプレースタイルを認めてくれたジャイアンツの原辰徳だとも公言しています。

ラミレスの巨人での成績は?

オガラミコンビが機能したのは2008年から10年の実質3シーズンを見てみよう!

結果として巨人に移籍して成功でしたね。

【2008年】
ラミレス 144試 率.319 45本 125点 OPS.990
打点王

【2009年】
ラミレス 144試 率.322 31本 103点 OPS.891
首位打者

【2010年】
ラミレス 144試 率.304 49本 129点 OPS.951
本塁打王 打点王

【アレックスラミレス巨人時代】守備の位置が原因?名球会

なぜラミレスは巨人からDeNAへ

シーズン成績は137試合、打率(.279)が巨人入団以来初めて3割を切り、打点(73)は連続100打点が8年で止まり、来日以来最低の数字となりました。

本塁打数(23)も来日以来最低の数字となり、打撃三部門で来日以来最低の記録となりました。

ただし、本塁打数はリーグ2位でチーム内では1位でありました

これは「飛ばないボール」(統一球)に変わったこともあり、セ・リーグの選手全体の本塁打数も減少したため、本塁打数に関しては決して不振とは言える数字ではなかった(最多は、ウラディミール・バレンティン(ヤクルト)の31本)。10月31日のクライマックスシリーズ・ファーストステージ終了をもって退団することを表明ました。

守備が原因で巨人を退団

この年から導入された統一球によって本塁打が減少したことで大量得点を期待できず、いかに守備で失点を防いでいくかの戦いになったことでラミレスの守備難はネックとなりました。

お世辞にも上手い守備とは言えず、終盤は打順の降格だけでなく、スタメンを外れる試合もりました。

ラミレス自身は打撃でチームに貢献したかったが、チームとしては守備面を重視する方針となっていたためチームにとって絶対的な存在ではなくなっていた

ラミレスはベイスターズでは名球会いり

2011年12月8日、横浜DeNAベイスターズが獲得を発表し、入団会見を行ないました。

背番号はヤクルト時代と同じ3。DeNA時代は2013年に日本通算2000安打を達成し、外国人選手では史上初の名球会への入会を果たした。8年連続100打点超えの記録を持つ。

まとめ:【アレックスラミレス巨人時代】なぜヤクルト?若い頃?守備の位置!名球会

いかがでしょうか。

【アレックスラミレス巨人時代】なぜヤクルト?若い頃?守備の位置!名球会についてお伝えしました。

ラミレスの野球は原辰徳から学んだものを活かしているようですね。選手時代から監督の気持ちで、辰徳を尊敬していた。だから今の成功がある!素晴らしいですね!

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yoshilover'sblogプロ野球好きの管理人のヨシラバーです。!ブログは2017年からやっているよ!住まいは東京です。東京ドームの近くです。スポーツを見にちょいとが高じて知識はほぼ専門家です。幼少期のころから野球の練習・観戦していたため、長年において積み上げた知識は誰にも負けないと自負しています。目指してた野球選手にはなれなかったため発信する場はありません。プロ野球への思いを発信する場としてまたそれが皆様の知識として役立てることができればと思ったことが、このメディアを起こした理由です。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 初めてコメントさせていただきます。
    私は巨人ファンで、ラミちゃん大好きです。
    以前ラミちゃんが著書を出した際に読んでみましたが巨人移籍についても言及していました。
    ラミちゃん曰く当初は巨人には行きたくないと思っていたそうです。
    これまで外人が巨人で大変な思いをしてるのを見ていたため嫌だったのですが巨人は契約面で納得がいくものだったため移籍を決断したそうです。
    またこの記事にかかれている原監督の影響についても記載されていて原監督が解説者をやっていた際にラミちゃんに一緒に野球をやろうみたいなことを2004年くらいに話していて後に巨人に移籍した際に原監督がこの事を覚えていたのがとても嬉しかったそうです。

    • コメントありがとうございます。ラミちゃんの本なんてあるんですね!今度読んでみます!

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