根尾昂(ねお・あきら)選手は2000年4月19日生まれ、岐阜県飛騨市(旧・吉城郡河合村)出身のプロ野球選手です。実家は代々「医者の一家」として知られており、両親は共に医師です。家庭全員が医療に携わるという特殊な環境で、根尾選手は幼少期から育ちました。
根尾昴のプロフィール
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 根尾昴(ねおあきら) |
生年月日 | 2000年4月19日 |
出身地 | 岐阜県飛騨市 |
身長 | 177㎝ |
体重 | 76㎏ |
ポジション | ピッチャー、サード、ショート・外野手 |
投打 | 右投げ左打ち |
中日・根尾昴の母・根尾実喜子!実家?祖父を調査

実家は飛騨
根尾選手の実家は岐阜県飛騨市河合町(旧・河合村)にあります。
飛騨市は岐阜県の最北端、標高3000m級の北アルプスや飛騨山脈に囲まれた山深い地域で、2004年に古川町・神岡町・河合村・宮川村が合併して誕生しました。
面積の大半を森林が占め、人口約2万人余り(年々減少傾向)の自然豊かな土地です。
旧・河合村は特別豪雪地帯に指定されるほど冬場の雪深さで知られ、年間平均気温も約11度と冷涼な気候です。根尾選手にとって雪は幼い頃から身近な存在で、スキーは生活の一部。実際、少年期にはアルペンスキーにも打ち込み、中学2年生の時には全国中学生大会で優勝するほどの実績を残しています。このように自然環境に恵まれた山里で育った経験が、根尾選手の高い運動神経や体幹の強さ(野球でも投打に安定したフォームを生む原動力)にも繋がっていると指摘されています。
根尾家は飛騨市河合町角川地区に居を構え、母・実喜子さんが勤務する河合診療所は自宅のすぐそばにあります。
河合診療所は先述のとおり地域で唯一の医療施設であり、根尾選手はそんな村の診療所のすぐ近くで育ちました。静かでのどかな環境の中、少人数の小学校・中学校に通い(河合小学校から古川中学校へ進学)、地域の友人たちと切磋琢磨しながら少年期を過ごしています。
周囲を山々に囲まれた環境ゆえ、学校行事や遊びでもスキーや山登りなど自然と触れ合う機会が多かったようです。また、小規模校ならではの**「きめ細かな教育」**も受けられました。根尾選手は「小学校は生徒数が少なかったので友達同士でお互い意識して勉強し、先生も個別授業に近い形で教えてくれたので濃密な学びができた」と振り返っています。この恵まれた学習環境が、彼の高い学力の土台を築いたと言えるでしょう。
母・根尾実喜子さん:飛騨市で唯一の診療所を支える女医
母・根尾実喜子さん(旧姓:西本さん)も自治医科大学の卒業生で、浩さんとは大学の同級生でした。結婚後は実喜子さんの実家がある兵庫県たつの市に暮らしましたが、その後浩さんの岐阜への転勤に伴い一家で飛騨市へ移住しています。
浩さんが宮川診療所へ赴任した際、実喜子さんも隣村(旧・河合村)の「国民健康保険飛騨市河合診療所」に勤務することになり、夫婦でそれぞれ別の診療所を受け持つ形となりました。
飛騨市河合町は人口1000人足らずの小さな地域で、河合診療所はその地域唯一の医療機関です。実喜子さんは河合診療所の常勤医師(ほぼ一人医師体制)として働いており、日々地域住民の診察や往診に奔走しています。
お二人は大学卒業後9年間の地域医療従事義務の中で最後の3年間を河合診療所で過ごし、そのまま飛騨市に定住しました。実喜子さんも母親として忙しい診療のかたわらで根尾選手を育み、医療人としてだけでなく母親としても支えてきました。
根尾昴の父・根尾浩:宮川診療所医師

父・根尾浩さんは岐阜県大野郡白川村(世界遺産・白川郷で有名な地域)の出身です。
自治医科大学を卒業後、兵庫県たつの市の医療機関で4年間勤務し、県立岐阜病院を経て1997年から岐阜県旧・宮川村の林診療所(現・飛騨市宮川診療所)に赴任しました。
現在も飛騨市宮川町にある「国民健康保険飛騨市宮川診療所」で常勤医師として地域医療に携わり、同診療所の院長を務めています。
自治医科大学は地域医療従事医師を育成するための大学で、卒業生には一定期間の僻地医療勤務が義務付けられます。浩さんは**「自然環境が素晴らしいし、子どもたちの成長とともに何となく居着いてしまった」**と語り、義務期間終了後も現在まで旧宮川村地域に根ざして医療を続けているそうです。
医師として忙しい日々を送りながらも、根尾選手の少年時代には試合でほぼ毎回ベンチに入りスコアをつけたり、練習後にグラウンドで追加の投球練習に付き合ったりするなど、野球面でも息子を支えてきました。
根尾昴の祖父、根尾治吉は中日ドラゴンズ岐阜後援会

祖父、根尾治吉さんは中日ドラゴンズ岐阜後援会のようです。
中日ドラゴンズの根尾昂選手の地元である岐阜県飛騨市では、根尾選手の活躍を願い応援する後援会が発足しました
2018年の時点では、根尾選手本人や両親の意向により、まだ1軍で活躍できるかわからないという理由で後援会の結成は見送られていました。
一方、本巣市根尾地域では、特産品である「根尾米」を根尾選手に送る「根尾うすずみ応援団」という応援団体も結成されています。
この団体は、根尾米を食べて体づくりに励み、早く1軍で活躍してほしいという思いを込めて、根尾選手に米を送っているそうです。
現在は飛騨市で後援会が活動しており、根尾選手を地元からサポートする体制が整ってきているようです。
祖父母との関わりと家族の支え
根尾昂選手の祖父母について公に語られることは多くありませんが、いくつか知られているエピソードがあります。父・浩さんの実家である白川村では、祖父の根尾治吉さんが村議会議員を5期20年務め、地域に貢献した経歴を持っています(平成15年引退時に旭日単光章を受章)。
白川郷の合掌集落がある白川村で地域活動に尽力した祖父の姿勢は、浩さんを通じて孫の昂選手にも受け継がれているのかもしれません。実際、2019年には根尾姓ゆかりの地である岐阜県本巣市根尾地域の有志が「根尾うすずみ応援団」を結成し、根尾選手の祖父・治吉さんも現地を訪れて先祖のお墓参りに参加したと報じられています(根尾選手の先祖にあたる根尾右京之亮の墓を祖父と従兄弟が参拝したとの記録)。
郷土と家族を大切にする気持ちがうかがえるエピソードと言えるでしょう。
根尾選手は幼少期、祖父母と同居していた時期もあったとみられ、三世代同居の家庭で育った可能性があります。日々の暮らしの中でお年寄りを尊敬し感謝する心も養われたようで、2022年の敬老の日には、球団のインタビューでカメラに向かって「おじいちゃん、おばあちゃん、いつもありがとうございます」と照れながら呼びかける微笑ましい場面もありました。
プロ入り後も折に触れて祖父母への感謝を口にしており、家族ぐるみの温かい支援が根尾選手の原動力の一つになっていることは確かでしょう。
根尾昴の学力:文武両道:野球に集中しながらも高い学力を維持した背景

授業を“最強の自主学習”にする勉強法
「二刀流」「三刀流」とも称される根尾昂選手の代名詞は、その卓越した野球センスと学業成績の両立ぶりです。大阪桐蔭高校で甲子園春夏連覇を達成したスター選手でありながら、成績面でも中学時代はオール5(オールA)を記録し、高校進学後もトップクラスの成績を維持しました。
医学部を選ばずプロ野球を選んだ理由
中学3年生の通知表がオール5だったことで、当時から東京大学野球部のスカウトが目を付けていたほどです。実際に根尾選手が大阪桐蔭高校に進学した際には、そのスカウトが同校野球部の西谷浩一監督に「将来ぜひ東京大学に進学してほしいので、体育・芸術コースではなく進学コースに入れてみては」と打診したという逸話もあります。
もっとも、同校の進学コースは勉強中心の厳しいカリキュラムで野球の練習時間確保が難しいこと、何より根尾選手自身が「野球一本で行きたい」と望んだためそのプランは実現しませんでした。東大スカウトは「彼が本気で勉強すれば東大に合格していただろう」と評したとされ、根尾選手の学力が難関大や医学部進学も可能なレベルだったことが窺えます。
こうした経緯から、一時期「根尾選手は将来医学部に進学するのでは?」という噂がネット上やファンの間で語られたこともありました。
噂の出どころは明確ではありませんが、家族構成的に考えても父母が医師、兄が医学部という背景から「野球を引退したら医師になるのでは」「実は医学部進学の選択肢もあったのでは」と想像された部分が大きいようです。
事実、根尾選手ほどの成績優秀者であれば医学部を含め難関大学への進学も十分可能だっただろうと複数のメディアが報じています。
しかし根尾選手本人は「プロ野球でやっていきたい」という思いが一貫して強く、中学卒業時も高校卒業時も迷わず野球の道を選択しました。その証拠に、根尾選手は自らの学力が過度に持ち上げられることについて「デマですよ!」と笑い交じりに否定したこともあります。
あくまで野球に情熱を注ぎつつ、与えられた環境で最大限勉強も頑張った結果が「文武両道」の評価につながっているのでしょう。
では、根尾選手はどのようにして野球と勉強を両立してきたのでしょうか。その背景には家庭環境と本人の意識が深く関係しています。根尾選手は「特に親から勉強しろと言われたわけではなく、勉強するのが当たり前という感じだった」と語っています。医師である両親は忙しい中でも子どもたちの教育に関心を払い、とはいえ無理に塾に通わせたり過度な詰め込みをするのではなく、日常生活の中で自主的に学ぶ姿勢を育てたようです。
前述のように小学校時代は少人数教育の利点を生かし、授業をしっかり聞いてその日のうちに内容を復習する習慣を根尾選手自身が身につけました。
彼は「先生方は僕たちのために準備して教えてくれている。知らないことを教わっているのだから、しっかり聞くことが大事」という信条を持っており、どの教科も手を抜かず全て真剣に取り組んだといいます。その積み重ねが結果的にオール5という成績につながっただけで、最初から評点を狙っていたわけではないとも語っています。
プロ入り後も続く読書と学び
根尾選手は今も遠征やオフに専門書・小説を読み、野球規則集も愛読。知的好奇心が衰えない点が、投手→野手→再び投手へという“マルチ適応”を支えています。
まとめ:根尾昴の両親の病院?学力?父・根尾浩と母は実喜子や祖父?実家や医学部や宮川診療所
根尾昂選手の家族・実家・学力について詳しく見てきました。医師一家に生まれ育ち、飛騨の山奥という豊かな自然環境と地域医療の現場が日常にある中で、根尾選手は人一倍の探究心と向上心を身につけました。
両親はへき地医療に尽力する傍らで息子の夢を応援し、兄姉も医療やスポーツで良き手本となりました。祖父母を含む家族の温かい支えに囲まれ、根尾選手は文武両道のスーパー高校生として世に出ます。
その高い学力から医学部進学の噂まで流れましたが、根尾選手が選んだのは野球一筋の道。それでも彼は今も勉強や読書を続け、学びから得たものを野球に生かし続けています。
「プロ野球選手・根尾昂」を形作ったのは、医療に奉仕する家族の背中と、勉強を当たり前とする家庭環境、そして何より本人の努力に他なりません。これからも家族への感謝を胸に、根尾選手は野球界で輝きを放ち続けてくれるでしょう。
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