1995年は二塁手のレギュラーを確保し、本塁打王(28本)を獲得し、イチロー(25本)の六冠王を阻止した。このとき二塁でのゴールデングラブ賞も受賞している。
巨人でも40本塁打をマークするなど主軸として活躍。2006年には巨人では数年振りとなる主将を務めたが、シーズン終了後にFA宣言をし、古巣である福岡ソフトバンクホークスに復帰しました
今回の記事は小久保裕紀のなぜ巨人へ無償トレード移籍?私服についてお伝えします。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 小久保裕紀(こくぼひろき) |
生年月日 | 1971年10月8日 |
出身地 | 和歌山県和歌山市 |
身長/体重 | 182cm / 87kg |
投打 | 右投右打 |
ポジション | 内野手、外野手 |
年代 | 所属・役職 |
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学生時代 | 和歌山県立星林高等学校 |
学生時代 | 青山学院大学 |
1994 – 2003 | 福岡ダイエーホークス |
2004 – 2006 | 読売ジャイアンツ |
2007 – 2012 | 福岡ソフトバンクホークス |
2013 – 2020 | NHK解説者 |
2013 – 2017 | 侍ジャパン代表監督 |
2021 | 福岡ソフトバンクホークス一軍ヘッドコーチ |
2022 – 現在 | 福岡ソフトバンクホークス二軍監督 |
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小久保裕紀の年俸や成績やタイトル?守備やポジションは?1997
年俸は?
小久保裕紀さんの生涯年俸は35億円といわれています。
年 | 年俸 |
---|---|
1994 | 1,200万円 |
1995 | 1,500万円 |
1996 | 5,000万円 |
1997 | 5,000万円 |
1998 | 6,000万円 |
1999 | 8,000万円 |
2000 | 7,600万円 |
2001 | 1.8億円 |
2002 | 2.4億円 |
2003 | 2.4億円 |
2004 | 2.1億円 |
2005 | 2.4億円 |
2006 | 2.4億円 |
2007 | 1.8億円 |
2008 | 1.6億円 |
2009 | 1.5億円 |
2010 | 1.5億円 |
2011 | 1.5億円 |
ただ、推定額であり、正確な数字は明らかにされていません。
また、小久保裕紀の年俸は、プレーした時期や所属チームによって異なります。例えば、ダイエー時代の年俸は1,200万円、最高年俸は2.4億円であったとされています。
打撃成績は?
打撃成績は下記のとおりです。
項目 | 数値 |
---|---|
活動年数 | 1994 – 2011 |
所属チーム | 福岡ダイエーホークス (1994-2002), 読売ジャイアンツ (2004-2006), 福岡ソフトバンクホークス (2007-2011) |
出場試合数 | 1,951 |
打席数 | 7,125 |
得点 | 1,034 |
安打 | 2,020 |
二塁打 | 367 |
三塁打 | 20 |
本塁打 | 413 |
打点 | 1,263 |
盗塁 | 56 |
盗塁死 | 26 |
四球 | 681 |
三振 | 1,172 |
打率 | .283 |
出塁率 | .351 |
長打率 | .506 |
OPS | .857 |
タイトルや受賞歴は?1997
小久保裕紀は、特にプロ入り2年目にホームラン王と1997年打点王に輝くなど、チームの成功に大きく貢献しました
受賞名 | 回数 |
---|---|
パシフィック・リーグ ベストナイン賞 | 3回 (1995, ,) |
パシフィック・リーグ ホームラン王 | 1回 (1995) |
パシフィック・リーグ ゴールデングラブ | 2回(1995,2010) |
パシフィック・リーグ 打点王 | 1回 (1997) |
守備やタイトルは?
小久保裕紀の守備は巨人ファン的にはサード(三塁手)とのイメージがありますよね。保裕紀さんは、守備力に優れており、数多くの守備プレーでチームを救っていました。
小久保裕紀さんは、プロ野球選手として、主に内野手としてプレーしていました。
しかし、守備位置については、キャリアの中で複数のポジションを経験しています。三塁手,一塁手,二塁手と外野のレフトも経験しています。
小久保裕紀のなぜ巨人へ無償トレード!取巻き
ダイエーから巨人への異例の「無償トレード」です。(2007年シーズンからソフトバンクに復帰)。
当時は沈黙を貫いた小久保氏だったが、自叙伝を書き終えた今、初めて当時の真相について語っています。
2003年のシーズン終了後、多くのファンから来季の復活を期待されていたが、11月3日に突如読売ジャイアンツへ無償トレードで移籍することが発表されました。
移籍の理由は、当時の球団社長と意見が合わなかったことや、アメリカでの治療費・渡航費である約2000万円が球団から一切支払われなかったことが挙げられ、小久保はアメリカから一時帰国した2003年6月中旬に球団に対して契約解除(自由契約)の希望を伝えていたました。
自叙伝では下記のようにつたえており、ダイエーのフロントに対しての不信感がわかります。
「実は、トレードを訴えたのは僕自身なんです。ホークス以外ならどこでもよかった」
巨人移籍に対して発言
巨人に行くことも迷っていたんですよね。ソフトバンクだけで終わることがなく巨人の選手と交流がもてて、友達が増えたとも話しています。
「巨人はドラフトのとき、ホークスとどちらに行くか迷った球団ですが、自分で巨人を希望したわけではないんです。移籍先がわかったときは、縁があるのかなと思いましたけどね。結果的にホークスに戻ることになったけど、巨人に行ってよかったですよ。」
私服・ファッションモンスターで有名
久保のファッションセンスにある。
小久保の私服姿の画像が貼られるとなんJ民ですら苦言を呈するような奇抜な服装であることがほとんどである。
小久保自身のセンスが独特というのもあるが、小久保のポリシーとして「人前に出るときは同じ服を2度と着ない」というのも奇抜さに拍車をかけていると思われる。
この奇抜さが「ファッションモンスター」というイメージそのままの語句に当てはまったという感じである。
まとめ:小久保裕紀の年俸や成績や私服やタイトル?守備やポジションは?なぜ巨人へトレード移籍?1997
いかがでしたでしょうか。
小久保裕紀の年俸や成績や私服やタイトル?守備やポジションは?なぜ巨人へトレード移籍?1997についてお伝えしました。
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