藤本博史監督についてです。年俸はどれくらいでしょうか。応援歌はソフトバンクのチャンステーマです。また麻雀が有名です。
2011年から福岡ソフトバンクホークスの打撃コーチ・三軍監督・二軍監督を歴任します。
現在は一軍監督です。現役時代はどういった選手だったのでしょうか。
藤本博史のプロフィール
1980年夏の甲子園に4番三塁手で出場した経験があります。
また、福岡ソフトバンクホークスの一軍監督として活躍しています。
チームは2022年4月1日に球団として1955年以来67年ぶりとなる開幕戦からの7連勝を果たしました。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 藤本博史 |
生年月日 | 1963年11月8日 |
出身地 | 大阪府泉北郡忠岡町 |
出身校 | 奈良・天理高 |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、一塁手、二塁手 |
プロ入り | 1981年ドラフト4位で南海ホークスに入団 |
経歴 | 南海→ダイエー、オリックスでプレーし、2011年以降はホークスのコーチ、2軍、3軍監督を歴任。2022年シーズンから一軍監督を務める |
年度別年俸 | |
---|---|
年度 | 金額 |
1985 | 320万円 |
1986 | 420万円 |
1987 | 440万円 |
1988 | 570万円 |
1989 | 970万円 |
1990 | 1600万円 |
1991 | 1550万円 |
1992 | 2300万円 |
1993 | 3660万円 |
1994 | 4000万円 |
1995 | 5200万円 |
1996 | 7500万円 |
1997 | 6500万円 |
藤本博史の将棋麻雀とは?
試合前に将棋を指したり、よく呑みに行ったりと、昭和の匂いのする選手でした。
現役時代には試合前のロッカールームで将棋を指していたようなのです。
常勝軍団であった西武ライオンズから弱小だった福岡ダイエーホークスに移籍してきた秋山が、移籍当初ダイエーの選手たちに「勝ちたい」という意識が薄いことに愕然としたというエピソードもあります。
弱いダイエー時代の象徴のようなイメージが染みついている一方で、その人柄が愛され多様性の象徴でもあります。
ソフトバンクのチャンステーマはなんと藤本博史監督の現役時代、応援歌として使われていた曲です。
単純で歌いやすい歌詞、メロディとなっており、初めて球場に訪れたファンでもすぐに応援の輪に入ることができます。
またこのチャンステーマは、最前列のファンがメガホンで外野フェンスを叩きながら歌うことでも有名で、「一発」への期待感がよく表れている。
独特の雰囲気の中、実際に本塁打が飛び出たときの興奮は、言葉では言い表せないほどですね。 昨年圧倒的な強さを誇った福岡ソフトバンクのチャンステーマであるだけに、トラウマのようになっている他球団ファンも多いのではないでしょうか。
ここまで飛ばせ ホームラン ここまで飛ばせ ホームラン
藤本博史の現役時代!天理高校 不祥事/南海/オリックス/ダイエー時代の成績!ヒゲ
現役時代は右の主力打者でしたが、通算105本塁打、打率2割3分5厘と成績はそこそこでした。
当時からヒゲがトレードマークです。
『どないしたんや~』が口癖で、見た目も性格も“浪速のおっちゃん”です
天理高校時代!
天理高校の不祥事
天理高校では1980年、2年夏の第62回全国高校野球選手権に四番打者、三塁手として出場しています。
同じ2年生で準決勝まで進むが、エース愛甲猛を擁する横浜高に逆転負けをしてしまいました。
その後は秋にチームで起きた不祥事のため丸1年の対外公式試合禁止の処分を受け、3年時の甲子園行きのチャンスを棒に振ることになります。
しかし甲子園での実績や素質を見込まれ、1982年に川本とともに南海ホークスに入団。
南海時代①:初の規定打席!クリンナップ!髭なし
1992年には初の規定打席(28位、打率.253)に達します。 1980年代の南海ホークスでは岸川勝也と共に将来の4番候補として期待されていました。南海時代は7、8番といった下位打順が多かったが、球団がダイエーに売却され福岡へ移転した後はクリーンナップを任されるようになりました
南海時代②:中距離打者
パワーヒッターというイメージが強いが、年間最多本塁打は1992年の20本と、どちらかというと中距離打者だったのです。
出塁率は高く、1992年は打率ランキング28位であったが、出塁率は同僚でその年の首位打者佐々木誠を上回るほどであった。
ダイエー時代:セカンドも経験
好打好守の三塁手である松永浩美がホークスに加入した1994年にはレギュラーの座を追われました。
当初は控えの座に甘んじていたが、藤本の打撃技術を高く評価していた当時の打撃コーチ大田卓司の進言により二塁手として起用され奮闘、不安視されていた守備面でも活躍しました。
オリックス時代:ユニフォーム
1998年シーズン序盤に金銭トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍します。
同年4月28日の対千葉ロッテマリーンズ戦に出場したが、オリックスへ移籍した直後の試合であったため、ユニフォーム作成が間に合わず、過去オリックスに在籍したタイ・ゲイニーのユニフォームを着用したりしました。
試合前に将棋を指したり、よく呑みに行ったりと、昭和の匂いのする選手でした。
現役時代には試合前のロッカールームで将棋を指していたようなのです。
常勝軍団であった西武ライオンズから弱小だった福岡ダイエーホークスに移籍してきた秋山が、移籍当初ダイエーの選手たちに「勝ちたい」という意識が薄いことに愕然としたというエピソードもあります。
弱いダイエー時代の象徴のようなイメージが染みついている一方で、その人柄が愛され多様性の象徴でもあります。
いかがでしょうか。
藤本博史の麻雀?若い頃?応援歌!現役時代!天理高校不祥事!年俸?オリックス時代の成績!についてお伝えしました
有名選手がおおいなか、現役時代の実績では負けているにもかかわらず監督までのしあがるところに強みを感じます。
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