こんにちは、yoshiloverです。井上真二を覚えていらっしゃいますでしょうか。
井上さんは現在、巨人の若手宿舎の副寮長を務めているとうわさがあります。
また、現役時代は1985年から1998年まで巨人一筋でプレーし、通算成績についても深くお伝えします。
特に1989年にはレギュラーとして活躍し、打率.298、12本塁打、38打点の自己最高の成績を残しています。し
かし同年8月31日の阪神戦で、マット・キーオ投手の死球を左側頭部に受け、その影響で一時的に一軍登録を抹消されました。多くのファンの間では、このできごとが井上さんの不運の代表例として語り継がれています。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 井上 真二(いのうえ しんじ) |
生年月日 | 1966年7月12日 |
出身地 | 熊本県玉名郡南関町 |
身長 | 181cm |
体重 | 85kg |
投打 | 右投右打 |
経歴 | 熊本工業高校 |
ドラフト | 1984年ドラフト5位 |
プロ入り | 1985年 |
所属球団 | 読売ジャイアンツ(1985年~1998年) |
巨人・井上真二の現在・今は寮長を結婚や妻や結婚を調査
現在はゴルフしている?
井上真二は現在、2020年8月1日付でファームディレクターとなり、2021年限りで退任したとのことです。
2024年4月7日に、BSテレ東の番組「ゴルフ交遊抄」に元巨人の緒方耕一氏と一緒に出演しています。番組内では、ゴルフの腕前を披露したり、高校時代の思い出や若手選手へのアドバイスなどを語っているようですね
また、報知新聞社のオンラインショップで販売されている書籍「巨人 若手宿舎物語 若武者のルーツ」の紹介ページに、井上氏が副寮長を務めていたという記述があります
ゴルフを楽しみ人生を語らう素敵な友と来てくれたのは、元プロ野球選手の緒方耕一さんと井上真二さんのお二人が登場。ゴルフの腕前は?
引用元:ゴルフ交遊抄×井上真二(テレ東)
現在は読売ジャイアンツに関わる仕事や副寮長も
井上氏は現在も読売ジャイアンツに関わる仕事をしていることがわかります。テレビ番組に出演してゴルフを楽しむ一方で、巨人の若手選手の育成にも携わっているようですね。
副寮長としての役割は、寮生活のサポートや若手選手の生活指導などが考えられます。自身の現役時代の経験を活かしながら、次世代の選手の成長を支えているのでしょう。
2001年から2006年、2016年、そして2019年以降ずっとジャイアンツの指導者として活躍されてきました。
特に2016年には二軍打撃コーチを担当し、若手選手の育成に尽力していました。そして2019年からはチーフスカウトに就任し、将来のジャイアンツを担う有望選手の発掘に力を注いでいます
妻や結婚を調査
結婚や妻に関しては情報を探したのですがみつかりませんでした。
井上真二の巨人時代はの成績は?
通算成績はキャリアハイは?
通算成績は289試合に出場し、打率.253、16本塁打、60打点をのこしています。特に、989年にはレギュラーとして活躍し、打率.298、12本塁打、38打点の記録をのこしています。
項目 | 成績 |
---|---|
通算成績 | 289試合出場 |
打率.253 | |
16本塁打 | |
60打点 |
ファームで2年連続本塁打王
1984年ドラフト5位で巨人に入団します。
1年目から一軍で起用され、10月には右翼手として初の先発出場を果します。2年目の1986年と3年目の1987年に2年連続でイースタン・リーグの本塁打王に輝くなど大器の片鱗を見せていました。
1989年
5年目右翼手に定着し、6月半ばまで打率は4割を超え、2か月足らずで11本塁打を放ちました。
しかし6月下旬あたりから大きく失速し、最終的に打率.298、12本塁打、38打点と自己最高の成績を残しました。
1990年
それぞれレフトとセンターのレギュラーに元々定着していた原辰徳とクロマティのほか、吉村禎章の復活や左投手対策で獲得した西岡良洋、新外国人マイク・ブラウンの加入や内外野兼任の緒方耕一の存在、大森剛の入団など、外野手の層がかなり厚くなったことから一軍定着もままならなくなってしまいました。
イースタン記録の通算125本塁打を残したが
他球団からはトレード移籍話が絶えませんでしたが、かつての爆発力を知っている球団としては、復活を辛抱強く待ちました。常勝を義務付けられた巨人では、その後も毎年のようにFAなどで大物が加入し、徐々に井上真二の存在感は薄れてしまいました。
二軍では活躍するものの、一軍では8年間で1本塁打と振るわず、1998年を最後に現役を引退することになりました。
井上真二の引退のきっかけが死球!キーオを調査
引退のきっかけは?頭部への死球!キーオ
1989年8月31日の阪神23回戦(甲子園)でマット・キーオ投手の投球が左側頭部を直撃します。
その後、めまいなどの症井上真二選手が1989年8月31日の試合で阪神タイガースのマット・キーオ投手から左側頭部にデッドボールを受け、その影響で一時的に一軍登録を抹消されたことが、その後の出場機会の減少や引退のきっかけになったと考えているファンが多いようです。
井上選手はこのデッドボール以降、以前のような活躍ができなくなり、最終的には戦力外通告を受けて現役を引退することになったとのことです。
デッドボールによる後遺症などが原因で、本来の実力を発揮できなくなってしまったのかもしれません。
オールドファンの間では、井上選手の不運なできごとの代表例として、このデッドボール事件が語り継がれているようです。選手生命に大きな影を落とした出来事だったのでしょう。
引退に死球の影響はないと本人は話している
死球の後遺症などともいわれたが「それは関係ない。実力がないだけ」「流れが大きく変わったかもしれないが、それを克服できなかった僕が悪い」とはなしています。
一つの至急だけでその後の経緯のすべてを説明するのは難しいかもしれませんが、少なくとも昔の巨人のファンの記憶に強く残る転機となったことは間違いとざいません。
井上真二のその後のキャリアを語る上で欠かせないエピソードの一つと言えるでしょう。
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