巨人 川相昌弘の 犠打やバントの技術は?勝呂や鴻野に勝つ

こんにちは、ヨシラバーです。

川相が次期監督候補に挙がっていますよね。

ヨシノブや原、長嶋茂雄が監督だったこともあり、選手としては地味との声もありますが、バントでのこだわりをみると、名監督になるかもしれませんね。

川相昌弘のプロフィールは?

生年月日 1964年9月27日
身長 176 cm
体重74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手、三塁手、二塁手、外野手、一塁手[1]
プロ入り 1982年 ドラフト4位
初出場 1984年4月24日
最終出場 2006年10月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
岡山県立岡山南高等学校
読売ジャイアンツ (1983 – 2003)
中日ドラゴンズ (2004 – 2006)

川相昌弘は勝呂や鴻野とレギュラー争い

1989年、巨人では球団史上初の0番となったこの年、藤田元司が監督に復帰すると、第4の存在だった川相が台頭しました。

 なかなか定着しなかった当時の巨人の遊撃手候補は、打力で川相以上に伸び悩む勝呂、即戦力要員ながら結果が出ず守備も不安があった鴻野と、川相は持ち前の守備能力や確実性のある小技を磨き、絶対的な巨人の2番・遊撃の座を勝ち取りました。

川相昌弘のバント人生!通算犠打打数は?

1990年、阪神の和田豊の年間犠打記録を抜き、58犠打のプロ野球新記録を樹立します。翌1991年には66犠打を記録し、自身の年間犠打新記録を更新します。

 (現在のプロ野球記録は、2001年に宮本慎也が記録した67犠打)

1993年には4年連続でリーグ最多犠打を残します。1998年には平野謙の記録を抜き、通算452犠打のプロ野球新記録を樹立しました。

世界記録通算犠打:533を残しています。

川相昌弘はなぜバントの技術がうまかったのか?

 犠打数のギネス記録保持者であり、バントの技術はプロ野球史上最高峰のレベルであるといわれています。

 巨人でのレギュラー時代は2番打者として多くの犠打を記録し、誰もが送りバントと分かっている状況で代打で登場し、成功していました。

通算の犠打成功率は9割を超えている。1995年は47犠打を記録したが、失敗数は0である。

送りバントのコツとしては「割り切りが大事」「ここに転がすと決めたら、どんなボールが来てもそこに転がす」という気持ちの整理が重要だという。

 技術面では、目とバットの距離を変えないようにすることらしいです。

バントに対しての思いは強く、ベンチで悔しさを叩き付けることも珍しくなく、特にバントを失敗した時は自身のこだわりから一段と荒れていたこともあったそうです。

川相 昌弘の著書は?チームに貢献し世界記録をとった男の野球への姿勢を学ぼう!

明日への送りバント

昨年世界記録を塗り替えた川相昌弘選手の初の著書です。

大人から子供まで誰でも読めるといった内容であり、川相選手がどうやって考え野球に取り組んできたか、レギュラー獲得以降ブラウン管を通して観ただけでは分からない苦労があったかなどが語られています。
 分ではなくチーム貢献に徹するその姿勢は、勤め人にも学ぶべきものがあると思います。

川相昌弘スモールベースボールを紐解く―名手に学ぶプロフェッショナル野球論

野球に対する姿勢から、それを支える考え方の本であるとのこと。

 野球に限らず、社会一般で大事にしていきたいことが述べられており、球界の裏話や昔の話が沢山書いてあるそうです。

勝つための言葉

川相氏はこの本で伝えたいことは、ことわざ四文字熟語らしいです。

コーチとして僕が意図していることが伝わっているか、伝え方が適切かどうか確信が持てないとき、思いついたことが、ことわざ・四字熟語だった。

 簡潔な言葉を使うことで、選手たちも興味を持ってより理解しようとするのではないか。技術はもちろん、勝つために大事な精神力を言葉で伝えるいい方法かもしれない。そう思っている。

まとめ

現役時代から、相手投手のクセを常に研究して、走塁やバントを実践してきた川相であれば、相手チームへの分析も高く、名監督にはなれそうです。

知名度や人気などは今までの監督には到底劣りませんが、プロ野球の主役は監督ではありません。選手です。

分析能力を活かし、常勝ジャイアンツを復帰させてほしいとも思います。