カテゴリー

広島・津田恒実と巨人・原辰徳の関係は?左手首を怪我!

原辰徳を語る上で欠かせないのは津田恒実さんのエピソードです。炎のストッパーと言われていましたね。

津田恒実(恒美)とは?

原さんの2つ下。炎のストッパーとして知られていました。

出身地 山口県都濃郡南陽町和田
生年月日 1960年8月1日
没年月日 1993年7月20日(32歳没)
身長体重 181 cm 79 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト1位
初出場 1982年4月10日
最終出場 1991年4月14日
経歴 山口県立南陽工業高等学校→協和醱酵
→広島東洋カープ (1982 – 1991)

最後の登板

これが最後とは本人も思っていなかったでしょうね。

死因は脳腫瘍

1993年にこの世を去ってしまいます。

1991年の春のキャンプ中から、津田は頭痛を訴えて、その後風邪での体調不良を理由に登録を抹消されます。そして91年5月に緊急会見を開き、津田さんが「水頭症」であることを発表。しかしこれは動揺を隠すためで「脳腫瘍」でした。11月にはそのまま退団となります。闘病生活の後この世を去りました。

原辰徳との関係は?

「津田は印象的」

原に「思い出のピッチャーは?」と聞くと決まって答えるのは津田。

「津田、小松、鈴木孝政さん。後、大学時代だけど、江川さん。とにかく真っすぐが速かった」。決まって名前を挙げるのは同世代の4投手で、順番も決まって「津田」からだった。

左手が砕ける

1986年9月24日には原の選手生命を脅かす怪我をしてしまいました。

原辰徳は、直球を打った衝撃で左手の有鉤(ゆうこう)骨が砕けた。ボールとバットの衝突で骨が折れる。

「もちろん速いんだけど、重くて、浮き上がってくる感じでね。高めは特にすごかった。でも、バットを短く持つ発想は、まったくなかった。短く持ったことは、野球人生で1回もないよ」

「守備で飛び込んだときに人工芝に突いてしまって、左手首が痛かったんですよ。優勝争いもしていたので、なんとかごまかしながらやっていた。そうしたら最後、いい場面で自分に(打順が)回ってきてね。六、七分の力でしか打てない、それ以上の力で打ったらおかしくなるな、というのは自分で感じていたんだけど、津田がまさに全力投球でしょ。それに対して自分の力をセーブするなんてダメだと思ったんですよ。それで『よし、この打席、行こう!』と思い切って振った。 いまだに、このときのスイングは自分の一番いいスイングだと思っています。それでファウルだったけど、当たったときにバキッと音がした。(骨が)折れたことには悔いはなかったですよ。津田というのは、そういうふうに思わせるピッチャーでしたね」

その時の動画

打撃スタイルの変更

その後原さんは「左手グリップの持ち方が凄く難しくなった」といいながら、翌年から打撃スタイルの変更となり、引退まで1986年の本塁打数を超えることはできませんでした。

まとめ

津田はすごいピッチャーでした。原はその後手首やアキレス腱の怪我に悩まされてしまいましたが、この打撃に後悔はないと発言しています。

キャンプ早々中島宏之が別メニューで練習することになりました。これは調子が悪いのでしょうか。 原辰徳といえば「怪我は職務放棄」と言い切っ...

シェアする