【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美2023

【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美広島カープ
【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美
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福井 優也(ふくい ゆうや、 )は、岡山県英田郡西粟倉村出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。

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今回の記事では【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美についてお伝えします。


福井優也のプロフィール

斎藤佑樹と同級生として知られていますが、一浪しているのでハンカチ世代ではありません。同級生はわれらの山口俊さん、かみネロ、野上亮磨、大和、T-岡田ですね。

高校の済美高校が満塁逆転ホームランを打った歴史的な日に登板ということでプレッシャーがかかっています。「やればできるは魔法の合言葉」の校歌は衝撃的でした。さて、この福井ですが巨人との因縁があったのはご存知でしょうか?

出身地 岡山県英田郡西粟倉村
生年月日 1988年2月8日(30歳)
身長・体重 178 cm 85 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月17日
経歴 済美高等学校→早稲田大学→広島東洋カープ (2011 – )

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福井優也の現在?引退?トレード 理由

トレード 理由は成績不振

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トレードの理由はカープでの成績は悪かったからでしょう。2017年は一軍公式戦5試合の登板で1勝3敗、防御率7.16でした。2018年は一軍公式戦で自己最少の3試合の登板に留まり、0勝3敗と、2013年以来5シーズンぶりに未勝利でした

2018年11月29日に、菊池保則との交換トレードで東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍することが発表された。

【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美

当時は斎藤が日本ハム、大石が西武で現役を続けていたことから、福井の楽天移籍によって3人ともパシフィック・リーグの球団に同時に在籍することになりました。

福井優也の現在のプロでの活躍はできず楽天を解雇されたが引退せず

2021年は、6月18日に一軍昇格すると、同日のオリックス・バファローズ戦で、中継ぎとしてシーズン初登板し、2回無失点に抑えた。その後も中継ぎとして一軍に帯同し、最終的に19試合に登板。0勝0敗、防御率4.43を記録でした。

2022年は、中継ぎとして11試合に登板し、0勝0敗1ホールド、防御率4.09を記録したが、10月3日に戦力外通告を受けた。

引退せず福井優也の現在現在は独立リーグへ

11月8日、楽天生命パークで行われた12球団合同トライアウトに参加。「NPBは無理でも独立リーグで勉強することもある。簡単には終わらせない」と感想を述べています。

「プロ野球戦力外通告2022」に出演し、独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグに所属する福島レッドホープスへの入団を公表しました。

その後、同日中に球団からも入団が発表された。背番号は11

福井優也の巨人のドラフト拒否で浪人!済美

【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美

前代未聞!巨人のドラフト拒否?済美高校

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巨人に行くために他球団の指名を拒否というのは聞いたことはありますが、逆はめったに聞きません。26年ぶりだったそうです。

原巨人に衝撃が走った。高校生ドラフト(10月3日)で4巡目指名した福井優也投手(17=愛媛・済美)が5日、仮契約を辞退したと学校側を通じて異例の文書を報道各社に配布した。7日に仮契約する予定だった。福井投手は昨年のセンバツで優勝、夏は準優勝の本格派右腕。巨人はこの日、福井の意志を受け入れ、入団の辞退を了承した。

引用元:巨人25年ぶりフラれた済美・福井が入団拒否

父親のコメント

2013年に54歳の若さで急死されてしまったようですが、当時お父様は前面に立って福井のことを守っていたそうです。

「本人は将来、逆指名もしくは、ドラフト上位指名されるくらいまで頑張りたいと言っていた。その考えを尊重する」

当時は高卒ドラフトと大卒ドラフトは別だった

2005~2006年のドラフトは高卒ドラフト制度が採用されていました。その中でも4位なので待遇は確かに不安かもしれません。その当時体力面で不安があったそうなので長年活躍できる保証はありませんもんね。もし入団していたら辻内、脇谷、越智と同期でした。それなら一度大学に進学したほうが良いというのも納得できます。

巨人を拒否したのは4位ではなかった

2005年のNPB高校生ドラフト会議で巨人から指名されたにもかかわらず入団を固辞したことをめぐっては、指名順位が4位と低かったことが理由として報じられていたが、本人はそのことを否定したようです。

甲子園球場の全国大会と無縁であった北照高校から自身と同じ右投手の加登脇卓真が3位で指名されたことや、徳島商業高校から2003年のNPBドラフト会議4位指名を経て入団した平岡政樹が、2005年高校生ドラフト会議の前後に支配下選手登録の解除(育成選手としての再契約)を通告されたことにショックを受けたことを理由に挙げています。

契約金・待遇はこんなに違う!

ドラフト1位とドラフト4位だと契約金や年俸が全く違います。2017年の巨人の例では、

1位 契約金1億円+年俸1500万円+出来高5000万
4位 契約金5000万円+年俸800万円

浪人生活は?

固辞を申し入れてから早稲田大学への入学までに1年間の浪人生活を余儀なくされたことについては、「高校時代に酷使した右肩を休めることができたので、充実した1年だった」と語っています。

福井優也は巨人を拒否するほど渥美で評価が高かった?

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済美高校時代

2003年、「やればできるは魔法の合言葉」の校歌で有名な愛媛県の済美高校に入学。1年秋からエースになり、2004年の第76回選抜高等学校野球大会では「やればできる」を合言葉に、大会史上初の「ナイターでの決勝」で愛工大名電を下し優勝。

同年の第86回全国高等学校野球選手権大会では準決勝までの4試合で先発完投した。決勝の駒大苫小牧戦では体調不良の中登板を志願したが敗れ、春夏連覇を逃した。

2005年のドラフトでは巨人に4巡目指名されましたが、諸般の事情により拒否し世間を騒然とさせました。早稲田大学への進学を表明したが、推薦入試の日に間に合わず浪人。

早稲田大学時代

2007年、早稲田大学スポーツ科学部トップアスリート選抜入試で入学。斎藤佑樹、大石達也らと同期で推薦入学。福井は後に「斎藤と大石は目標であり自分を満足させなかったライバル。自分は3番目です」と語っている。4年次の2010年春からは早稲田のエース番号11を背負うことになり、大学日本一に貢献。

広島東洋カープが一位指名。複数球団での競合が噂されましたが一本釣りに成功したものの、福井は悔しい気持ちが隠せなかったそうです。

まとめ:【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美

いかがでしたでしょうか。

【福井優也の現在】引退?なぜ巨人拒否して浪人!トレード理由?済美についておつたえしました。

斎藤佑樹に大石達也はプロ野球から引退しました。早稲田の福井優也は引退していません。今後ともかんばってほしいですね。

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