秋山 幸二(あきやま こうじ、1962年4月6日- )は、熊本県八代郡氷川町出身の元プロ野球選手、監督。野球解説者。野球評論家。
西武の顔には確かになれませんでした。それは甲子園のスーパースターの清原和博がいましたから、それでも強力な印象はあると思います。バク転や4040に、華麗な守備、そしてホームランでメジャーに近いといわれた男です。
そんな秋山幸二の天才っぷり、伝説を紹介します。
生年月日: 1962年4月6日
出生地: 熊本県 氷川町 宮原
身長: 186 cm
配偶者: 秋山 千晶 (1994年 – 2014年)
ポジション: 外野手、三塁手
子女: 秋山真凛
両親: 秋山ミスエ、 秋山辰芳
山田哲人や柳田ですとトリプルスリーが当然のような印象になってしまってます。
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天才・秋山幸二の伝説!40本40盗塁
今なら、あえて40-40を狙ってほしかった選手です。
ホゼ・カンセコ
バリー・ボンズ(1996年)、
アレックス・ロドリゲス(1998年)、
アルフォンソ・ソリアーノ(2006年)
ホームランを打てるパワーと、盗塁ができる走力が求められるが、このようなスーパーマンは数少ない。
最も可能性が高かったのは1987年の秋山幸二でした。
当時、西武ライオンズに所属していた秋山は130試合で43本塁打、38盗塁を記録しているまた、1990年にも35本塁打、51盗塁とあと一歩及ばなかった。
13試合少ない130試合制だったのです。143試合制に換算すると、47本塁打、42盗塁で40-40を達成していたことになります。
これは正直、デストラーデが秋山ならメジャーで活躍できただろうと話した理由がわかりましたね
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天才・秋山幸二の伝説!最もメジャーに近かった男!身体能力
メジャーとの日米野球です。
西武時代は走攻守の三拍子揃った選手として黄金時代を支えていました。
打撃では三振が多く、変化球で崩されることも多かったが、かなりの角度で円を描く本塁打から長嶋茂雄は秋山を「本当のホームランバッター」と評していました。
落合博満にも「本当のホームランバッターは田淵幸一さんと秋山だけ」と言わしめています。
なぜメジャーにちかかったのか?
若手時代に野球留学したアメリカのマイナーリーグで評価されたことや、西武のレギュラーとなった後に日米野球で対戦したメジャーリーガー・関係者に高く評価されたことから、後に「メジャーに一番近い男」と呼ばれるようになりました。
クリーンアップを担っていたチームメイトの清原和博は「自分は日本専門の選手だけど、秋山さんならメジャーでも通用する」と語り、オレステス・デストラーデも「秋山ならすべてのメジャー球団で主力選手として活躍できる」と語っていました。
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天才・秋山幸二の伝説:バク転は清原和博より目立つため
「バック宙ホームイン」は、秋山の地味なイメージを払拭するために「何か派手なパフォーマンスを」と考え出されたもので、文化放送ライオンズナイターのベンチリポーターだったプロ野球コメンテーター・中川充四郎のアイデアであり、中川が番組内で秋山に約束させたようです。
決して地味とはおもわないけど清原和博がいたからね。甲子園のスーパースターがいたから4番に座れない感もあったしね。
日本シリーズでは1990年の巨人戦、1991年の広島戦でも披露。最後となった広島戦では、着地後尻もちをつき、以後封印することとなったそうです。
全然地味じゃなくて派手だったけどなー。
1990年には清原を名実ともにチームの顔にしたいと考える球団の意向により、秋山は推定9,800万円の掲示を受けます。
秋山はこれを不服として保留したが、最終的に同額で更改しました。
契約更改において一発でサインしなかったのはこの年だけである。
球団から「1億円プレーヤーとなるには君には華が足りない」と言われたことが、翌年のモチベーションアップに繋がったと本人は話しています。
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天才・秋山幸二の伝説:強肩・守備
俊足と強肩を生かすため、本格的に外野手に転向となりました。秋山は3番・中堅に固定されました。
結果として、最終的に43本塁打で3年連続40本塁打をクリアしました。
前年オフに本塁打王の常連であった落合がセ・リーグの中日に移籍したこともあり、初の本塁打王のタイトルを獲得しました。
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まとめ:秋山幸二は天才で伝説
なぜ西武球団から評価がひくかったのはわかりませんが、清原和博が影響していたのはまちがいないですね。結果、球団と仲が悪くなりソフトバンクホークスに移籍してしまい残念です。
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