「ノムさん大丈夫」!?野村克也氏の意外な現役時代の成績や記録を知っている?

Twiiterで「ノムさん大丈夫」がトレンド入り!しております。とても心配ではありますが、野村克也氏の奥様、成績を振り返ってみましょう。

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野村克也のプロフィール

野村克也氏のプロフィールです。

野村克也氏の選手時代

野村克也氏は、野球に対する情熱が誰よりあり、ONに勝つことだけを目的に野球した人間です。長嶋茂雄は東京六大学のスターであり、王貞治は甲子園のスターである。野村克也氏は、そのような華やかな入団ではなく、ドラフト外で入団している。
ONは、雲の上の存在であるにも関わらず、ライバル心を抱くことでさえ、無謀なのに、奇人ゆえの発想なのだろうか。野村克也氏は、プロ野球1年目は9試合で11打数無安打で終わり、シーズンオフにマネージャーから戦力外通告を受けます。

「もしここでクビになるようなら生きていけません。南海電鉄に飛び込んで自殺します」と辛抱強く交渉し、何とか残りました。結果としては、通算試合出場数は日本プロ野球歴代2位(実働年数は歴代2位)、8年連続本塁打王(通算9回)、6年連続打点王(通算7回)、捕手として史上初の三冠王などを記録し、通算出場試合・安打・本塁打・打点・塁打数歴代2という多大な実績を残した大打者である。600号本塁打達成時の「王や長嶋がヒマワリなら、オレはひっそりと日本海に咲く月見草」という発言は、そのまま野村の代名詞となっています。

野村克也氏の監督時代

指導者としても、野村克也氏は、監督と選手を兼任するプレーイングマネージャーとして「4番打者」「捕手」「監督」の3つの重責をひとりで担い、リーグ優勝までも果たした。ただ、ここでも日本シリーズでは、巨人に敗れ、V9を許す結果です。どこまでも、ONと戦う男でした。

また、代名詞とも言えるデータを駆使するID野球はプロ野球の進化に大きく貢献しました。また選手兼監督時代に江夏豊をリリーフ投手として抜擢し、投手分業制を確立したり、盗塁を阻止する技術として投手のクイック投法を開発し福本豊に土をつけました。

その後は、ヤクルトの監督に就任。在任9年でリーグ優勝4回、日本一3回とヤクルト黄金時代を築き上げる。特に他球団から放出された選手を復活させる手腕は「野村再生工場」と呼ばれた。

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野村克也氏がなにげに持ってる不滅の記録

野村克也氏はテレビで何気にもっている自慢話をすることが多い。それを聞くと改めてすごい存在だったと思わされます。ここでより詳しく成りまししょう。

1950607080年代の4年代分オールスター選出

なんと、1957-1977まで連続オールスター選出し、1980年に監督推薦でオールスター選出されているのです。

・日本最多記録の保持者
まあ現役かつ第一線でやってた頃が長いせいもあると思うが、これは守備が上手いイメージがあるので以外ですね。

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野村克也氏の妻への感動の言葉

そんな男が野球よりも大切なものはあった。もちろん、妻沙知代さんである。1977年秋、克也氏は、南海監督を解任された。当時42歳であった。原因は、後に結婚する沙知代さんとの交際問題が原因だという。

オーナーに「野球を取るか、女を取るか。はっきりせい!」と迫られたとのこと。

野村さんは、「女を取ります。仕事は、いくらでもあるが、沙知代という女は、世界に一人しかいない」と話すほどの惚れっぷりだったとのこと。

現在の野村氏が心配だ。それほど大切していた女性がなくなったとき、男は同時に亡くなってしまうこともよくあると聞く。いつもは、マスコミの前ではあれほどの強気な姿をみせているが、心配である。

2018/01/12追加

テレビ朝日系「ファン1万人がガチで投票!プロ野球総選挙」

テレビ朝日系「ファン1万人がガチで投票!プロ野球総選挙」に出演し、沙知代夫人について「まだ、ショックから立ち直れません。サッチーのおかげでしたから、今まで生きてこられたのはと寂しさをにじませていました。その他にはこれからは古田の時代だとかたり、入団当時のエピソードから、指導論について、当時を振り返りながらお話しをしていました。どのような心境であろうと、テレビに出演しファンを楽しませる精神は決してONに負けてはいけないと考えさせられましたね。

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まとめ

これからもONとともに長生きをしてほしい。爆笑問題の田中もお話をしてましたとおり、今後の球界を発展させていく存在です。野村さんの解説はみょうに納得してしまう説得力があり、ファンの方々もまだまだ聞きたいでしょうね。