【巨人】原辰徳監督時代の成績は?ONと比較された末に殿堂入り

こんにちは、ヨシラバーです。

原辰徳が今年1月にエキスパート部門で殿堂入りしました。有効投票数の78・7%となる96票を集め、エキスパート表彰の候補2年目で受賞を果たしたのです。

原辰徳のプロフィール

生年月日:1958年7月22日
ポジション:内野手、左翼手
出身チーム:読売ジャイアンツ

現役時代はドラフト1位で入団し主砲として活躍した人気選手でした。

また、長嶋茂雄氏、王貞治氏の歴代スーパースターの後継者として期待され、人気選手として一時代を築き上げました。

引退後、1999年に巨人のヘッドコーチに就任し、その後監督となりました。
監督就任1年目でリーグ優勝、日本一を果たしまたが2003年成績不振を理由に自ら退任したのです。

2期目の就任後は、10年の長期に渡って監督としてチームを引っ張りました。選手からもファンからもとても愛された監督です。

原辰徳監督の野球信念

試合では自己犠牲と勝利至上主義を貫き、必要であれば主軸打者にもバントをさせる。

チームの和は競争原理が働くことで保たれるが、チームを最優先する意識を強く持った選手が集まってこそ勝利を得られると語り、己を殺すことに苦渋や不満を抱いているようではまだまだ未熟と考えている。

これは個人の活躍はその場の喜びで終わるが、チームのために闘って勝てば自分が成長し豊かになる深い喜びを体感できるとの考えによるものらしいです。

原辰徳監督としての成績は?

監督通算1715試合で947勝712敗56分け、勝率5割7分1厘。

優勝経験

2度のセ・パ交流戦優勝(2012年、2014年)

7度のセントラル・リーグ優勝(2002年、2007年 – 2009年、2012年 – 2014年)

4度のクライマックスシリーズ優勝(2008年・2009年、2012年・2013年)

3度の日本一(2002年、2009年、2012年)

日韓クラブチャンピオンシップ優勝(2009年)

アジアシリーズ優勝(2012年)、WBC世界一(2009年)

10年の時節目を迎えた2015年の辞任しました。

原辰徳監督辞任時のスピーチでは

「ここ3年ほどチーム力が低下し、成績も落ちてきていた。この辺が潮時であり、チームにとっても新陳代謝をし、新しい指導者、リーダーに託すのが正しい選択であろうという気持ちで、こういう結果になった」

原辰徳は10年も監督をやっていたので、成績を含めて巨人軍ではミスターに次ぐ功労者です。

原辰徳監督が出会ったリーダーは

実父の原貢氏

原辰徳は、「いい道しるべ。基礎を教えてくれた私の恩師」と話しています。

東海大相模では監督と選手の父子鷹として、他の選手の数倍も厳しい指導を受けた。

しかし高校生活の最後に「よう頑張った。厳しくすることでチームの和が保たれた」と伝えられたという。その言葉で救われ、巨人監督時代の自身の信念にもなったそうですね。

藤田元司や王貞治

また、原辰徳は巨人入団時の監督だった藤田元司と助監督だった王貞治(後の監督)とは、監督としてのやり方が似ているとよく言われます。

実際、藤田の生前には監督業について何度も意見を交わし、また王から指導者としての(主に心構えの)アドバイスも受けたことがあるそうです。

原辰徳殿堂入り表彰

ONとの対比に人知れずさいなまれつつ、巨人では栄光だけでなく挫折も味わいました。指導者としても、渡邉氏ら身内のトップからなかなか認められずに酷評されることもあった。

それでも自分の力を信じてブレずに長い年月を要しながら努力を重ね、苦節を乗り越えて万人からも認められる存在になり、殿堂入りしたのです。

原辰徳は以下のようにコメントしています。

「原辰徳です。私の憧れでありましたオールスターゲーム。その貴重な時間の中で野球殿堂入りを表彰していただき、ありがとうございました。プロ野球選手になりたいと、大きな夢を持って父と野球を始めました。父も天国で喜んでいると思う。先輩、関係各位、何よりファンの皆様の叱咤(しった)激励を大きな大きなスタミナとして今日まできました。最後になりますが、ファンの皆様、何より野球に感謝したい。これから先、私は野球界発展のため、頑張っていきます」。

まとめ

原辰徳は現役時代でも監督時代でも常にONと比較されていた。これほどまでに苦労した野球人生は無いだろうが、最後は監督として最高の成績を残し、巨人軍での地位を確立した。

選手としても一流であっただろうが、監督としてのエキスパート部門の殿堂入り受賞のほうがよっぽど嬉しかっただろう。