【巨人】小久保裕紀 なぜトレード?巨人時代の成績は?

こんにちは、yoshiloverです。

低迷期からチームを支え、“ミスターホークス”とまで呼ばれた球団の中心選手だった小久保氏。彼を移籍したいとの心境にさせた背景には、フロントとの埋められない確執があったそうですね。

小久保裕紀はなぜ巨人?

ダイエーから巨人への異例の「無償トレード」です。(2007年シーズンからソフトバンクに復帰)。

当時は沈黙を貫いた小久保氏だったが、自叙伝を書き終えた今、初めて当時の真相について語っています。

 2003年のシーズン終了後、多くのファンから来季の復活を期待されていたが、11月3日に突如読売ジャイアンツへ無償トレードで移籍することが発表されました。

移籍の理由は、当時の球団社長と意見が合わなかったことや、アメリカでの治療費・渡航費である約2000万円が球団から一切支払われなかったことが挙げられ、小久保はアメリカから一時帰国した2003年6月中旬に球団に対して契約解除(自由契約)の希望を伝えていたました。

自叙伝では下記のようにつたえており、ダイエーのフロントに対しての不信感がわかります。
「実は、トレードを訴えたのは僕自身なんです。ホークス以外ならどこでもよかった」

小久保裕紀の巨人移籍に対して発言

巨人に行くことも迷っていたんですよね。ソフトバンクだけで終わることがなく巨人の選手と交流がもてて、友達が増えたとも話しています。

「巨人はドラフトのとき、ホークスとどちらに行くか迷った球団ですが、自分で巨人を希望したわけではないんです。移籍先がわかったときは、縁があるのかなと思いましたけどね。結果的にホークスに戻ることになったけど、巨人に行ってよかったですよ。」

巨人時代の成績は?

史上最強打線

 2004年、怪我は完治していたとは言いがたい状態でしたが、開幕当初から主力として活躍。アテネ五輪でチームを離れた高橋選手に代わって4番を務め、この年41本塁打を放ち、見事に復活を果たします。

 ちなみに堀内政権の1年目となったこの年、一番から仁志、清水、ローズ、高橋、小久保、ペタジーニ、阿部、二岡と続く打線は259本塁打を記録。「史上最強打線」と呼ばれたのですが、投手陣が振るわずこれだけの打線を誇りながら、なんとチームは3位に終わるのです。

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右打者としては史上初のシーズン40本塁打以上

巨人軍第69代4番に座り、長嶋茂雄、原辰徳、落合博満、清原和博らも達成できなかった巨人の右打者としては史上初のシーズン40本塁打以上(41本塁打)を達成しています。現在はラミレスが更新しておりますが、日本人としては初の記録です。

巨人時代の記録は?

2004年打率.314・41本塁打・95打点。
2005年打率.281・34本塁打・87打点。
2006年打率.256・19本塁打・55打点。

巨人軍第17代目の主将

2006年シーズンには、巨人軍第17代目の主将に指名される程、選手の中心でした。
また、他球団から移籍してきた選手としては初めての事です。

まとめ

あのころの巨人は暗黒期とさえいわれています。そんななか、巨人で奮闘してくれ小久保選手は巨人ファンのなかでは光でした。

監督として戻ってきても良いとはおもいますが、ソフトバンクが離さないだろうな。