【巨人】西本聖と江川卓の成績を比較!エースを争うライバル関係!

こんにちは!管理人のよしです。

江川卓との緊張感に満ちたライバル関係については、伝説化した話です。!

入団当初、西本聖がライバル視していたのは定岡正二でしたが、後にライバルとみなしたのが江川卓でした。

江川卓と西本聖の関係性は?

 “怪物”と呼ばれ高校時代から注目を浴び続けた男、またドラフト外でプロ入りし“雑草”と言われた対照的な二人は、1980年代の読売巨人軍を支えエースの座を争いました。同じチームでです。1981年の開幕投手は前年14勝の西本がつとめ、その年、西本は18勝、江川は20勝をあげている

初めは、西本聖の一方的なライバル視でしたが、1981年の西本聖の沢村賞受賞以降は、2人の関係に変化が生まれまたのです。

江川卓と西本!西本が沢村賞はなぜ?

1981年のそれぞれの成績です。

江川卓

31試合に登板して240回1/3を投げ、20勝6敗、勝率・769、24完投(7完封)、221奪三振、防御率2・29。

タイトルは、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の4冠である。

西本聖

 西本34試合に登板して257回2/3を投げ、18勝12敗、勝率・600、14完投(3完封)、126奪三振、防御率2・58。

タイトルは、奪三振と防御率は基準を下回り、タイトルも獲っていない。

ただ、 沢村賞選考委員の投票数は31票、西本に16票、江川13票、2票が白票でした。。江川にまつわるダーティなイメージがその三票に反映したと考えられています。

なぜ西本に?

成績だけみると、歴然とした差がありながら、西本が選ばれたのは当時の選考方法が関係しています。同賞を制定した読売新聞社は選考を東京運動記者クラブ部長会に委嘱していた。この年10月14日、東京・有楽町の数寄屋橋ニュートーキョーで開かれた選考会には加盟44社のうち31社の運動部長が出席。成績以前に江川の「人間性」を問う声が噴出したのでした。

江川卓と西本のライバル関係は?藤田監督が計算通り

 藤田元司監督は、共にエースの素質を持つ西本聖氏と江川卓氏を互いに意識させ競わせ切磋琢磨する事で両者がより高いレベルの投手になるように目論んでいたのでした。

日本シリーズでの王手をかけての争い

 1983年、史上最高の日本シリーズと呼ばれる巨人と西武との激戦は、巨人が王手を懸けて、第6戦を迎えていたました。エースは、江川でありましたが、日本シリーズでは、先発した試合は2敗、西本は2勝と、対照的な結果でした。

 第6戦、巨人は9回表のツーアウトまで、1-2とリードされていました。しかしランナーを2人置いた場面で、中畑清の打球が右中間を深々と割った。セカンドから篠塚利夫が、さらに一塁から原辰徳も逆転のホームインしたのです。

第6戦リリーフに備える江川は、胴上げ投手になることを確信

 それで、ピッチャーを交換していましたので、リリーフは江川だと自身もファンを確信していたのです。だが、藤田監督がダグアウトを出て、球審に歩みより、リリーフ陣として出てきたのは西本だったのです。藤田監督が最後の1イニングを託したのは、江川ではなく、西本でした。

心が折れてしまった2人のエース。西武が日本一に。

 

結果は準備が出来ていなかった西本と、心が折れてしまった江川です。9回、準備不足の西本は同点打を許した。そして延長10回、江川がマウンドに送り出される。しかし、すでに心が冷えていた江川は、痛みを押してまでまっすぐを投げることができませんでした。

結果として、逆転されてしまい、西武が日本一になるのです。

ただ、江川は今だに自分が投げていたら日本一になっていたとかたっています。

まとめ

同じチームでのライバル同士の関係ってあまり聞かないですよね。今の巨人では菅野が完全なるエースであり、誰も争おうとも考えていません。

ただ、それはよいのか悪いのかわかりませんが、菅野はとても重いものを背負っていると思います。田口も菅野に対し、エースとしての存在を脅かす存在になればもっと巨人は強くなるかもしれませんね。