平野ノラが真似する元巨人の呂 明賜の現在は?日本での成績は?クロマティの代理だった!

こんにちは、管理人のよしです。

今は台湾人の巨人の選手が珍しくはないですが、衝撃的なデビューを果たしました明賜の話題をしたいと思います。「呂は台湾の最高傑作。日本で名を残してもらわないと、われわれ台湾棒球人の恥となる」とまでいわれた男です。

明賜のプロフィールです。

台湾の中国文化大学から1988年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団しました。当時、巨人にはウォーレン・クロマティ、ビル・ガリクソンといった元メジャーリーグ選手の外国人選手が在籍していたため、第3の外国人の扱い(当時の日本プロ野球では、出場選手登録できる外国人は1球団につき2人まで)だったため、二軍生活を送りました。

明賜はクロマティの怪我によりチャンス到来

1988年6月クロマティが死球を受け右手小指を骨折し離脱したことに伴い、一軍に昇格すると神宮野球場の対ヤクルトスワローズ戦で、ボブ・ギブソンから初打席初本塁打を記録します。また、デビュー9試合で36打数12安打7本塁打(またデビュー17試合で10本塁打)と大暴れです。また、その年のジュニアオールスターゲームとオールスターゲーム(監督推薦)の両方に出場するほどでした。
最終的には本塁打を16放ち、「アジアの大砲」「怪物」と評されました。当時は、メジャーリーガーのホーナーの場合は入団自体が衝撃でしたが、呂の場合は入団自体は大したインパクトも無かったのですが、一躍人気者になったのです。出てきたときの衝撃という意味では、ホーナーに勝っているかもしれません。

明賜、クロマティの復帰後は?

しかし翌年には、クロマティが復帰し、またガリクソン(’89年)やマイク・ブラウン(1990年)といったほかの外国人選手との外国人枠の兼ね合い、起用方針が若手選手主体に転換されたため二軍暮らしが続きました。元々 アベレージヒッターではないので外国人でレギュラーになるためには、3割打つという事が必要でした。その枠に関しても 今より少ないので
非常に狭き門でした。
結果として、二軍暮らしが続き、退団しました。

明賜の現在は?台湾市球団の監督

2000年の現役引退後は、La Newベアーズの打撃コーチに就任、またWBCや北京オリンピックの台湾代表チーム(チャイニーズタイペイ)の打撃コーチを務めていたました。

また、2013年には、台湾代表チーム監督に就任し、2014年仁川アジア大会では韓国との決勝戦で敗れ準優勝となりました。

その他、2012年から台北市の指揮官を務めている。2016年には、呂明賜監督率いる台北市は台湾電力を3-1で破り、2勝1敗で初めて頂点に立った。

出典元:https://www.excite.co.jp/News/photo_news/p-4813577/