吉村禎章氏の現役時代の成績は?!由伸ジャイアンツで復活

こんにちは、管理人のよしです。

昔ながらの巨人ファンのなかでピックアップしたい話題といえば、吉村禎章氏が戻ってきたことではないでしょうか。悲運の天才プレイヤー・名選手といわれています。

吉村禎章氏のプロフィール

本名

吉村 禎章

投球・打席左投左打
身長180cm
体重89kg
守備位置外野手

高校時代

なんと、1981年の大阪の大名門PL学園高校時代3年春に甲子園に出場し、同校の初の春の全国選抜野球大会で優勝しています。今はPL学園高校の野球部はないですが、甲子園では何度も優勝しているイメージであり、その初の春の優勝選手が吉村だったんですね。知らない方も多いのではないのでしょうか。

その結果もあり、1982年、ドラフト3位で読売ジャイアンツに入団します。

駒田氏・槇原氏と50トリオとして大活躍

2年目の1983年に84試合の出場を果たし、規定打席未到達ながら打率3割2分6厘の好成績を残します。同時に活躍した、名球会入りした駒田徳広、ミスター完投試合である槙原寛己とともに、彼らの背番号にちなんで50番トリオと呼ばれ、ちょっとしたブームとなりました。

翌1984年から右翼手のレギュラーに定着します。23才までの成績をみてください。今の若手でもこのような成績を残す人はいますでしょうか「将来の4番」、「原辰徳を超える」、「10年はクリーンアップを打てる」といわれた大人気の選手でした。

年齢試合数打率ホームラン数打点OPS
(19)400000 
(20)84326511959
(21)11534213341030
(22)1203281656957
(23)1283223086949

もう、巨人時代も黄金期であり、1987年のベストナインは 桑田、山倉、篠塚、原、クロマティ、吉村と6人が選ばれてる時代です。今では考えられないでしょうね。

参照元:https://pro.foto.ne.jp/

札幌円山球場で交通事故並みの大怪我!引退の危機

ただ、そんな大活躍であった吉村には当時誰もが信じたくなかった怪我をしてしまうのです。

運命を変えた大怪我をしてしまったのは1988年の札幌円山球場で、ドラゴンズ戦の8回のことです。この日外野はレフトに吉村ですが、センターの選手の二人が守る左中間へ打球が飛んで行くのですが、そこで激突してしまいます。

この衝突で吉村さんは左膝の靱帯の3本を完全断裂し、神経にまで損傷が及んでいました。

当時の主治医が「交通事故並みの怪我」だと述べており、後遺症も確実に残り、選手生命の危機に立たされるほどの大ケガを負ってしまいます。日本の医療では手に負えずアメリカで手術をしたそうです。「野球選手でこんな大けがは見たことがない」と言わしめるほどの大怪我であったそうです。

この吉村の激突事故は、今でも野手の激突事故が起きる度に振り返られるほど野球ファンの脳裏に焼き付いているほどの衝撃でした。

復活までの道のり

吉村禎章は2度の手術と1年以上の苦しいリハビリ生活を送り、特注品のレガースとシューズを付け、直線であれば100メートルを11秒台前半で走れるまでに復活しました。

吉村禎章は1989年9月2日に斎藤雅の代打で復帰しました。吉村禎章をコールするアナウンスがかき消されたほど大歓声東京ドームが包まれた。泣いているファンもいたかと思います。

1990年のセリーグ優勝を決めるホームラン

1990年には、準レギュラーとし84試合に出場、打率.327ホームラン14本45打点をあげます。とても重要な代打として活躍しました。それが感動的なシーンへと繋がります。

9月8日の東京ドームでのヤクルト戦では、2-2の延長10回裏、前年の復帰戦と同じ川崎憲次郎投手から、ライトスタンドへのサヨナラホームランを打ちました。これは、なんと巨人は2年連続のリーグ優勝を決める決定弾でした。この年吉村選手はカムバック賞を受賞しています。

けがによって、体重を乗せる打ち方が不可能になったが、以後の数字は吉村がその非凡なセンスでそのイレギュラーな打ち方で中長距離ヒッターとして復帰したことを物語っています。踵から足をついて歩けないという状態ながら主に左の代打の切り札として活躍しました。

1998年シーズンには長嶋茂雄監督から第16代キャプテンに指名され、同年限りで現役を引退します。

再び、由伸ジャイアンツに戻ってくる

巨人の得点力不足は顕著で、吉川尚、宇佐見ら若手の強化は不可欠です。テレビ解説などでチーム状況を把握し、様々なポストで指導経験、巻き返しにはこの男が必要なのでしょう実に7年ぶりの復帰です。

二軍監督時代の2007年には、新人の坂本を積極的に起用し、翌年以降のレギュラー定着への礎を築いた実績がある。それだけに若手の育成への期待が高まりの起用であるのは明白である。

まとめ

吉村氏ほど悲運の天才という言葉が似あう人物はいない。怪我をすることがなかったらどれだけ凄い選手だったのか?

色々と考えてしまうところがある。だからこそ、野球に対しての無念や情熱は人一倍あるはず。まだ54才と若いこともあり、今後の監督の可能性もある。まずは、今年は多くの若手を育てることを期待したい。