【オリックス】中島裕之がなぜ西武に戻らなかったのはメジャーの活躍か

 こんにちは、ヨシラバーです。

 西武黄金時代の4番バッターであった清原和弘の「3」を背負い、09年には最多安打のタイトルを獲得。ベストナイン4度、ゴールデングラブ3度と日本球界を代表するスターとなった中島ですが、メジャーでは活躍することもなく日本に戻ってきました。

メジャーでの活躍やなぜ西部ライオンズに戻らなかったのでしょうか。

中島裕之のプロフィールは?

出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 1982年7月31日
身長  180 cm
体重 90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 2000年 ドラフト5位
初出場 2002年10月6日
年俸 3億5,000万円

中島裕之のメジャーでの活躍は?怪我で活躍することができなかった

2012年に海外FA権を行使して、米大リーグ・アスレチックスと契約しました。

2年総額650万ドル(現在のレートで約6億4200万円)プラス出来高で契約し、「正遊撃手候補」として期待されていました。

ただ、シーズンが始まる前の3月下旬に左太もも裏の肉離れを負ってしまいます。

アストロズからのトレードで、同じ遊撃手のジェド・ローリー内野手(29)を獲得し、レギューラーとなりました。

期待に応えるために、また調整のためにマイナーリーグの試合に出場を始めたが100パーセントの結果が出るはずがない。6月に予定されていたメジャー昇格は流れ、結局、1シーズンを傘下3Aサクラメントで過ごすことになりました。

2年目も3Aで結果を残していればいいが、12試合に出場して、打率.128、0本塁打、4打点と惨たんたる結果でした。

結局、夢かなわず日本のリーグNPBに戻ることになりました。

それでは、なぜ西武ライオンズにもどることはかったのでしょうか

中島裕之にオリックスが提示した年俸が高かった

中島が敏腕代理人のスコット・ボラスと契約したことで争奪戦はマネーゲームとなりました。

 オリックスは、推定4年15億円という巨大契約を用意。4年10億円の西武、4年12億円を提示したと思われる阪神の2チームを条件面で大きく上回っていたとのこです

地元チームにとくに阪神タイガースに戻りたかった

中島は阪神タイガースに行きたかったとの情報もありますが、代理人がオリックスとのパイプを作りたかったからとのことです。

西武ライオンズに戻りづからった

  中島がプロ2年目の2002年から、2軍打撃コーチとして指導した田辺監督は「ナカジは戻って来づらかったんでしょう。しかも一度ポスティングで出るといって、それがダメになって戻ってきて。翌年にFAで移籍したのに、アメリカで結果を残せなかったし」とはなしています。

 「ナカジは胴上げまでされて出ていって、それでアメリカでダメだったからって、たった2年で戻ってこれないよ」

まとめ

青木や黒田や上原のようにもとのチームに戻ると英雄扱いされますが、それでも野球人もビジネスです。自分を一番評価してくれる球団に中島がすすんだことも、特に問題はないですよねね。