【巨人】松井秀喜と長嶋茂雄のエピソード!長男・一茂も嫉妬

こんにちは、ヨシラバーです。

夏の甲子園で5打席連続敬遠されるなど、高校球界屈指のスラッガーとして注目を集めていた石川・星稜高校の松井秀喜。

長嶋茂雄がどうしても欲しい選手であり、ドラフトで4球団の競合の上、獲得。

松井秀喜は、長嶋監督自ら手塩にかけて育てた数少ない「直弟子」でした。

結果、日米の人気球団で活躍し、通算507本塁打をマーク。2009年のワールドシリーズでは3本塁打を放ち、日本選手初の最優秀選手(MVP)に選ばる選手にまでなっていくのでした。

長嶋茂雄の主張で松井秀喜を指名

巨人の予定も1位指名は投手・伊藤智仁で行く方針だったが、長嶋監督が「松井を1位指名しないでどうする」と主張しました。

そして、指名当日、長嶋監督自ら松井に電話を入れて口説いたといいます。

ドラフト後、長嶋監督は「振りのシャープさ、遠くへ飛ばす能力。まさに10年にひとりの素材ですよ。大事に育ててみたい」とコメントしています。

長嶋茂雄の松井秀喜の4番バッター計画

長嶋茂雄は松井秀喜の素振りに毎日つきあ、コースまで指定していました。長嶋茂雄が掲げた松井秀喜を1000日で4番にする1000日計画はあまりにも有名ですよね。

ただ、実際には1000日では4番に定着ができず、長嶋茂雄の指導は続きました。

「実際、4番に定着するまで7、8年かかった。それまで、原さん、落合さん、清原さん、で、それから僕になったっていう感じだから。全然1000日ではなかったですね」

二人の特訓は長嶋茂雄が監督を勇退するまで続き、監督勇退の夜、松井は涙を流しながら素振りを行ったという

松井秀喜の背番号を55にしたのも長嶋茂雄

「王さんのように、1シーズンでホームランを55本打てるような、バッターを目指せ」と、背番号55を松井に与えたといいます。

松井秀喜をサードからセンターにコンバートしたのも長嶋茂雄

サードからセンターにコンバートされた際、松井は長嶋監督から、「ジョー・ディマジオのようになれ」と言われたという。

長嶋茂雄はディマジオのファンであり、野球選手の模範としてディマジオを挙げているのです。

長嶋茂雄が語る松井秀喜は?一流に育て上げられた一流バッター

長嶋茂雄は松井秀喜をかきのようにコメントしています。

「(松井は)人には努力している姿を見せず、陰で努力するタイプ」

「多くの選手は最初は一生懸命に練習するが、少し結果が出ると、すぐ手を緩める。松井は結果に関係なく、常に未来の姿を想像して、長い目で物事を見つめながら練習できる、数少ない選手」

「これまで飛躍を妨げない様、あえて称賛することを控えてきたが、ユニホームを脱いだ今『現代で最高のホームランバッターだった』、という言葉を贈りたい」

長嶋茂雄と松井秀喜が同時に国民栄誉賞を受賞

国民は政治的パフォーマンスといわれたりしましたが、この二人が同時に受賞するのは師弟関係としての素晴らしさをたたえたのではないでしょうか。

長嶋一茂が松井秀喜に嫉妬

長嶋一茂が巨人に移籍すると父・茂雄氏が監督であり、指導は「ほとんどなかった」そうです。

 ただ、長嶋茂雄は「松井(秀喜)と遠征先では必ず3年間個人指導をやっていた。試合が終わった後もユニフォームのまま宿舎のオヤジの部屋で素振りをずっと」

と話しています。

長嶋一茂は、松井秀喜を以下のようにコメント

「(松井は)誰とも飲みに行ってないよ。だってオヤジとずーっとやってんだから。やっぱり彼は違うよ。犠牲を払ってでもずっとバットを振り続けたから、ジャイアンツの4番になるし、ヤンキースに行ってもどこ行っても活躍する」

長嶋茂雄の松井秀喜に対する指導に、長嶋一茂は嫉妬したらしいが、いろいろなものを犠牲しているだけに、嫉妬はしていたもののしょうがないと話しています。

まとめ

世の中には師弟関係はたくさんあります。だけど、長嶋茂雄と松井秀喜が一番有名ではないでしょうか。

甲子園のスーパースターがプロ野球一のレジェンドに育てられ、メジャーのヤンキースで4番になり、ワールドシリーズで優勝しMVPをとる。

これまで、出来上がったストーリーがこの目でみれたのは幸せです。

あとは、巨人での監督優勝ですかね。