高橋由伸と松井秀喜の関係や仲は?MT砲はかっこよかった。

こんにちは、ヨシラバーです。

高橋由伸と松井秀喜は、巨人のTV放送がされていたころの最後の巨人の二人組ですね。

高橋由伸と松井秀喜への最初の印象は?

「凄く緊張した。とても1つ上に見えなかった。体も大きかったし、おっさんみたいだった」

「やっぱりパワーが凄かった。常に見ていたけど、こういうのを次元が違うというのかなって思ったよ」

高橋由伸と松井秀喜の差はなくなったように見えた1999年

春季キャンプからMLB・サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズを参考にして重心移動に取り組み、長打力がアップしました。

 オープン戦で6本塁打を記録した勢いそのままに開幕戦から3試合連続本塁打(1993年の秋山幸二以来6年ぶり)を放ち、4月には打率.433、8本塁打、29打点を記録し月間MVPを獲得。開幕から5番として試合に出場してきたが、5月5日にはプロ2年目にして巨人第66代の4番打者に指名されます。

 以後チームメイトの松井秀喜、ヤクルトスワローズのロベルト・ペタジーニと熾烈な本塁打王争いを展開。

 しかし、9月14日の中日戦(ナゴヤドーム)での守備の際に外野フェンスに激突し、鎖骨骨折の重傷を負ってチームから離脱した。中日と激しい優勝争いをしていたチームにとっても高橋の離脱は大きな痛手となり、本塁打王と共にチームの優勝も逃した。自身は打率.315(リーグ5位)、34本塁打(リーグ6位)、98打点(リーグ4位)を記録しました。

高橋由伸の悔やまれるフェンス衝突の肋骨骨折

1999年はフルに働いていれば、40本を超えただろう。

まだ地上波で連日巨人戦が放送されていた頃で、非常に印象に残っている。
 松井と高橋で、これからの10年凄いクリーンナップになると予感させた。だから戦列離脱を非常に惜しく思ったものだ。(打点98はいまでも高橋のキャリアハイ。繰り返すが、これはシーズン終盤を棒に振っての記録である。)

まとめ

ライバルのように思われた二人は、年には史上8人目の50本塁打を記録し、結果としてメジャーリーグのヤンキースの4番までの選手となっていきました。