【巨人】槙原寛己が完全試合!達成した理由は不純だった!

こんにちは、ヨシラバーです。

2018年7月27日にノーヒットノーランを残した山口俊ですが、もう少しで完全試合でした。準完全試合ですけど、最後の完全試合達成者はあの槇原です。

1994年ですので25年ほど前の話ですが、それから完全試合は出ておりません。

槙原寛己のプロフィールは?

出身地 愛知県半田市
生年月日 1963年8月11日
身長
体重 187 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1981年 ドラフト1位
初出場 1983年4月16日

槙原寛己の完全試合

槙原寛己は1994年5月18日に日本プロ野球では今井雄太郎(阪急ブレーブス)以来16年ぶり、史上15人目となる完全試合を記録したました。巨人の球団創設以来の公式戦7000試合目という節目のゲームでの快挙でもありました。

完全試合の内訳は、投球数102、三振7、内野ゴロ11、内野フライ6、外野フライ3です。

完全試合ができたエピソードは中州のエピソードや日米野球

試合前に謎の電話がかかってきた

完全試合開始直前に槙原に謎の電話が掛かってきて「至急連絡が欲しいので、この番号に電話して下さい」と電話番号があり、恐る恐る電話を入れてみると、相手は槙原の大ファンであり、「今日はいいピッチングをして下さい。期待してます」と励まされた。

その時に登板前の緊張感が消えたとのこと

中州での飲酒

試合の2日前(5月16日)、福岡入りした槙原は、年に一度の福岡遠征という高揚気分も手伝って門限破りをしてしまい、堀内恒夫投手コーチに見つかった。

外出禁止解除を賭けて試合に挑んだそうである。

何としても外出禁止を免除してもらおうと「必死に投げた」結果が完全試合という最高の結果をもたらしたばかりでなく、球団からの臨時ボーナス300万円(推定)も手にしたそうです。

福岡ドームなら完全試合狙える

福岡ドームでの公式戦初登板であったが、日米野球とオープン戦において2度の登板があり、合計5イニングを無安打・無得点に抑え、「ここ(福岡ドーム)はよほどいい当たりをされないとホームランにならない」という印象があったそうです。

完全試合を達成した槇原はのコメントは

1993年オフに槙原はフリーエージェント宣言

バラを抱えて自宅を訪問した当時監督の長嶋茂雄の猛アタックもあり、残留を決めていた。

「巨人に残って、本当に良かったよね」としみじみ呟いたそうです。

当日の長嶋はあえて槙原に言葉をかけず、静かに戦況を見守り、そして、完全試合を記録した槙原をベンチ前で抱擁して迎えたそうですね。

夢の中で投げているようだった

なんと槇原は3回から完全試合を意識していたそうです。

「3回ごろから(四球がひとつもなかったので)意識した。なんか夢の中にいるみたいでした。ピッチャーをやっていて良かった」

完全試合のスタメンキャッチャーは村田真一

完全試合のスタメン試合に村田真一がでております。小林との不仲説がありますが、山口と小林のノーヒットノーランをしても、実績は俺のほうが上とか考えてたりするかもしれません。

1 [二] 緒方耕一
2 [遊] 川相昌弘
3 [右] 松井秀喜
4 [一] 落合博満
5 [左] H.コトー
中 屋鋪要
6 [中]左 西岡良洋
7 [捕] 村田真一
8 [三] 長嶋一茂
9 [投] 槙原寛己

まとめ

金曜日の夜ナイターなんて 滅多に中継は見られないのに、たまたま帰ってきて山口のノーヒットノーラン。槇原もそういえばと思いましたね。