【元メジャーリーガー】野茂英雄の現在は?球界のレジェンド!性格や家族は?

先日、野茂英雄さんと佐野慈紀さんとの間の金銭トラブル疑惑のツイートがありましたが続報がありました。そういえば野茂さんは何をされているのでしょうか。

前回の記事に書いたように、9月13日(木)に任天堂とコロプラの特許訴訟の取材に東京地裁を訪れたら、思いがけず「13:30 民事第4部 貸金返還請求事件第1回弁論 原告・野茂英雄 被告・佐野重樹 405号法廷」という裁判を見つけてしまった。 私は本来の目的も忘れて「超見てー。野茂って、あのトルネード投法で近鉄・ドジャース...

野茂英雄とは?

メジャーリーグ挑戦が当たり前になった現在ですが、パイオニア的存在だったのが野茂英雄。寡黙なイメージですがそうでもないようです。

プロフィール

大阪府出身ですが、中学では注目されず高校は府立の無名校。

同い年は金本知憲やタフィローズ、1学年上には清原和博、桑田真澄、1学年下には立浪和義や片岡篤史がいます。

高校で完全試合をしたことで注目を集め、新日鉄堺時代には日本代表に選出されソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献。ドラフトでは史上最多の8球団競合となり近鉄入り。

名前 野茂英雄(のもひでお)
出身地 大阪府大阪市港区
生年月日 1968年8月31日(50歳)
身長体重 約188 cm 約99.8 kg
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
経歴 成城工業高→新日本製鐵堺→近鉄→ドジャース→メッツ→ブルワーズ→タイガース →レッドソックス→ドジャース→デビルレイズ→ロイヤルズ

タイトルは?

野茂にとってタイトルはあまり意味のないものかもしれませんが、これはすごい。

最多勝:4回 (1990年 – 1993年)
最高勝率:1回 (1990年)
最優秀防御率:1回 (1990年)
最多奪三振:4回 (1990年 – 1993年)
MLB最多奪三振:2回 (1995年、2001年)
新人王 (1990年)
MVP:1回 (1990年)
沢村賞:1回 (1990年)
ベストナイン:1回 (投手部門:1990年)
月間MVP:2回 (投手部門:1990年6月、1992年8月)
野球殿堂競技者表彰(2014年)
MLB新人王 (1995年)
MLB月間MVP:2回 (投手部門:1995年6月、1996年9月)

家族は?

次男は日本ハムで通訳業務をしています。

現在は?

ノモベースボールクラブ

現在の肩書きはこちらだそうです。社会人野球のチームが減少気味の現在、受け皿を作るためにノモベースボールクラブというチームを結成。2018年は惜しくも初戦敗退。

特定非営利活動法人NOMOベースボールクラブ 代表理事
サンディエゴ・パドレス アドバイザー (2016年~)

兵庫・城崎温泉の支援を受け、選手が旅館で働きながら10年ぶりの全国出場を果たした兵庫のNOMOベースボールクラブ(西近畿)は、初戦敗退となった。宮城の東北マー… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)

野球解説で寝る

関西では阪神戦でよく解説されている様子で今月も広島戦の中継で解説していました。いまいち話題にならないのはよく寝…休憩されているからでしょうか。

NOMOブレンド?

ラディアントという会社が経営するオンラインショップで自身の名前をモチーフにしたコーヒーやTシャツを販売しています。大阪人の野茂なので「NOMOコーヒー、飲も?」ということなのでしょうか。高知県にコーヒーの実店舗があるそうです。

エピソード

メジャー挑戦時に売国奴、恩知らず、裏切り者、二度と日本に戻ってくるな。とまで言われていたので気難しい性格と思われがちですが実はそうでもなさそうです。

メジャー挑戦は「鈴木監督との確執」「近鉄への不信感」?

1994年契約更改時に複数年契約を望んだ野茂に対し近鉄球団は拒否。交渉も決裂し野茂は退団を決意しましたが、それだけが原因ではありませんでした。仰木監督から鈴木監督になり野茂は自身のトルネード投法への否定や走り込みの練習に嫌気がさしていました。

トルネード投法

トルネードという独特のフォームを生み出しました。

歌「ヒデーオ」

“ヒデーオ、ヒデーーオ”という曲が作られました。元々は『バナナ・ボート・ソング』という1950年代にヒットした曲が元になっています。

マイペースな性格

自著「僕のトルネード戦記」、ロバート・ホワイティング著「野茂英雄~日米の野球をどう変えたか~」ではこんな記述があります。解説で寝るぐらいですからね・・

僕は確かに頑固かもしれません。人間としても野球人としても。でも、ピッチャーという人種は、どこかで頑固でないとやっていけない
(僕のトルネード戦記)

野茂は球団とも衝突する。一九九四年、オールスター戦のあいだ全員がミズノのスパイクを履くのが“常識”だったにもかかわらず、野茂はパ・リーグの命令を拒否しナイキを履く契約を結んだ。パ・リーグがミズノから受け取った契約金の一部をもらっていたバファローズの重役たちは、怒り心頭だった。(野茂英雄~日米の野球をどう変えたか~)

バラエティ出演の過去

マスコミ嫌いなので気難しい性格なのかも?と思うかもしれませんが「とんねるず」と親交があります。貴重なバラエティ映像です。

まとめ

佐野さんとの件は驚きました。。日本シリーズの解説をまたしてほしいですね!