江藤智の現役時代の成績は?広島巨人西武の3球団て大活躍

こんにちは!管理人のよしです。

今回は、巨人の3軍での監督になりました江藤 智監督の現役時代を知っていますか?30代以上の巨人ファンであれば活躍は分かる、実は広島でも数多い有名選手の中での4番バッターだったのです。

その江藤 智監督は、巨人から西武に移籍するも、引退後には巨人に戻りコーチ陣として大活躍中です。江藤監督はどのような選手生活を歩んできたのかについて、改めて把握したいですね。

江藤 智監督のプロフィール

本名

江藤 智

生年月日1970年4月15日(47歳)
投球・打席左投左打
身長182 cm
体重95 kg
 高校

関東高校

 経歴

広島東洋カープ (1989 – 1999)

読売ジャイアンツ (2000 – 2005)

埼玉西武ライオンズ (2006 – 2009)

高校時代

東京都東大和市出身であり、高校時代は関東高等学校で高校2年の時に投手でした。それから捕手へと転向し、3年間でなんと61本塁打を記録するのです。「東の江藤智、西の谷繁元信」と呼ばれるほど強打の捕手として有名でした。

今年の新人である広陵出身である中村奨成捕手のような話題性はありませんでしたが、1989年ドラフト5位で広島東洋カープに入団します。入団当時「51」であった江藤智の背番号は同年オフに「33」となりました。

1990年代中盤の広島打線の4番バッター

入団後の1992年、三塁手のレギュラーを争いをし、9月になると4番に抜擢、1993年には、レギュラーに定着し、128試合4番となる活躍をみせるのです。打率.282、34本塁打、82打点本塁打王のタイトルを獲得するまでの成績となったのです。

参照元:https://www.pakutaso.com/

当時の広島は、打線をみてください。1番と2番バッタはー広島東洋カーブの監督経験者です。また、3番前田はあのイチローが認めた存在であり、名球会にも入り天才といわれています。また、金本は阪神タイガースに移り、現在では監督でもあります。

その豪華なメンバーの中で4番バッターを打っていながら一番の強敵バッターであったのは間違いありません。成績でも、39本塁打、106打点2冠王を獲得しています。1995年の成績ですが、まさに四番バッターでしたね。

1番 野村 謙二郎

316(272-86) 10本

2番 緒方 孝市

315(550-173) 32本

3番 前田 智徳 

256(86-22) 4本 11点

4番 江藤 智

286(462-132) 39本 106点 

5番 金本 知憲

274(369-101) 24本 67点

しかも、当時のホームスタジアムでは、マツダスタジアムでなく狭い広島市民球場でした。そして、全員生え抜きです。現在の広島もほとんどが生え抜きで揃えていますが、90年代から、広島は選手を育てるのは上手かったのだと感じますね。

そんななか、広島の顔になった男が巨人へフリーエージェントとしてやってくるのです。

長嶋氏に口説きによりジャイアンツへ入団

当時の長嶋茂雄監督からの熱烈の口説きや背負っていた背番号33を貰い、ジャイアンツへのフリーエージェントを宣言します。 
2000年には、三塁手としての元木大介からレギュラーを奪います。

この時代のジャイアンツは、高橋由伸、松井秀喜、清原 和博、マルティネスと他の球団での4番バッターばかりでしたが、その中での成績・三番バッターですから、優秀なバッターだったのです。

特に、印象的なのが、優勝が決定した9月の中日戦ですね。1死満塁から同点満塁本塁打を放ちました。さらに続く二岡智宏のサヨナラアーチで優勝を決めたのです。

移籍2年目の2001年も、30本塁打、87打点との大活躍を残しますが、2002年に成績を落としてしまい、2005年は、プロ入り後初めてホームランが打てなくシーズンが終わりました。

そして、2005年オフ、巨人はFAで豊田清を獲得するのですが、その人的補償で西武ライオンスへ移籍することになりました。西武では全盛期はレギュラーをはるほどの力はのこっていなかったものの、在籍した3球団すべてでV戦士となっているのです。

参照元:http://freephotos.gatag.net/

江藤 智監督の通算成績は

2009年に、代打での出場が多くなり、打率1割台であり、引退を発表いたしました。

通算成績は下記の通りです。

試合数安打数打率ホームラン打点
183415592683641020

*獲得タイトル

・本塁打王:2回 (1993年、1995年)

・打点王:1回 (1995年)

・最高出塁率:1回 (1996年)

・最多勝利打点:1回 (2000年)

現役引退後はなにをしているのか?

実は引退後の2009年にはジャイアンツに戻り、2009年二軍育成担当コーチに就任し、2011年からは一軍打撃コーチを務めてからの、2014年に二軍打撃コーチへとなります。2016年から巨人の一軍打撃コーチに再び就任します。

現役引退後からずっと、巨人に貢献してきており、2018年からはなんと三軍監督となりました。

まとめ

現在では、ジャイアンツにフリーエージェントで入団すると活躍が出来なくなる選手の代表的な存在になってしまった感もあります。ただ、引退後にすぐにジャイアンツに戻り、今でも長年として首脳陣として活躍していることもあり、コーチとしての実績は球団にとても認められているのでしょうね。

今年からは3軍の監督になります。若手の育成が急務である現状からすると、とても重要なポジションだと思われます。

これは、大変なことと思いますが、育成のジャイアンツに戻るためにもぜひとも選手を育ててほしいですね。